多くの人々は成功者になろうと人生をひた走っています。成功者とは、多くを手に入れ、多くを達成することだと人々は信じています。しかし、多くを得て多くを達成しても、幸せでない人がたくさんいます。では、真の幸せはどこにあるのでしょうか。聖書は愛の中にあると教えています。人は愛し愛されるとき幸せであるというのが聖書の原理です。それは、創世記1章及び2章の天地創造を通して明確に語られています。
創世記1章には、神が6日で天地、宇宙、森羅万象を造り、そこに一人の人間(アダム)を造ったことが書かれています。神は、ご自分が創造した世界を「それは、はなはだ良かった。」(創世記1:31)と言われたように、たいへん素晴らしい世界を創造されました。
しかし、その世界は完全なものではありませんでした。足りないものがあったのです。先ほどの「はなはだ良かった」という言葉とは対照的に、「良くない」という言葉が2章に出てきます。「また主なる神は言われた、『人がひとりでいるのは良くない。彼のために、ふさわしい助け手を造ろう』。」(同2:18)
共にいる人がいなければ、そこは完全ではなかった。いくら立派な邸宅を建てて多くの素晴らしいものを得たとしても、その中で一人黙って座っているだけでは孤独であり、そこには愛する人が必要なのです。それで神はアダムと共にいる人(エバ)を造られました。すなわち、神は天地創造の次に、愛を創造されたと言うことができます。
このように真の幸せは、誰かと共にいることにあります。愛はすべての完成なのです。「互に愛し合うことの外は、何人にも借りがあってはならない。人を愛する者は、律法を全うするのである。「姦淫するな、殺すな、盗むな、むさぼるな」など、そのほかに、どんな戒めがあっても、結局「自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ」というこの言葉に帰する。愛は隣り人に害を加えることはない。だから、愛は律法を完成するものである。」(ローマ人への手紙13:8-9)
聖書全体を要約するなら、「聖書は神様の愛の物語である」といえます。神は私たちを愛するゆえに、イエス・キリストを地上に送ってくださり、私たちと共に歩むようにしてくださいました。「『見よ、おとめがみごもって男の子を産むであろう。その名はインマヌエルと呼ばれるであろう』。これは、『神われらと共にいます』という意味である。」(マタイによる福音書1:23)
実際、イエスの弟子たちは、肉体をとって現れたイエスを「目で見」たり、「手でさわった」り、その声を「聞いた」りして「イエス・キリストとの交わり」を持ちました。「初めからあったもの、わたしたちが聞いたもの、目で見たもの、よく見て手でさわったもの、すなわち、いのちの言について――このいのちが現れたので、この永遠のいのちをわたしたちは見て、そのあかしをし、かつ、あなたがたに告げ知らせるのである。この永遠のいのちは、父と共にいましたが、今やわたしたちに現れたものである――すなわち、わたしたちが見たもの、聞いたものを、あなたがたにも告げ知らせる。それは、あなたがたも、わたしたちの交わりにあずかるようになるためである。わたしたちの交わりとは、父ならびに御子イエス・キリストとの交わりのことである。これを書きおくるのは、わたしたちの喜びが満ちあふれるためである。」(ヨハネの第1の手紙1:1-4)
イエスは天に昇られましたが、日々私たちと共におられます。私たちは信仰によって日々イエスとともに歩むことができます。信仰によってイエスにふれることができます。
ドイツの牧師であり20世紀を代表するキリスト教神学者のボンヘッファーは、第2次世界大戦が勃発した1939年に「聖徒の共同生活」という本を出版しました。その中で彼は聖徒どうしのつながりは、聖書の御言葉を読むこと、祈ること、讃美することが基礎にならなければならない、つまり神との深い交わりが、隣人との交わりの基礎であると言いました。そして、傷つき絶望するときには一人で神を黙想することが大切で、それができる人こそが隣人の痛みを理解できると語りました。
教会は愛の共同体です。キリスト者は神の愛を知っています。愛するならば耐えることができます。死の病の中で苦しむ人も家族の愛を受けながら闘病生活に耐えることができます。人生に傷つき苦い失敗をした人も、愛する人の激励で再起できます。愛だけが私たちを立たせます。
皆さんの家庭において、また教会において、すべての関係において、共に歩む人生をつくっていかれますようにと願います。聖霊が私たちに愛のたまものを与えて下さることを祈ります。主が十字架で血潮を流されて私たちの罪をゆるされた、その愛で私たちも隣人をゆるし愛することができるものとなり、皆さんの人生が豊かになることを願います。愛する者と共に歩めば、喜びが何倍にもなります。主と私たちみんなと共に手をつないで肩をならべて天国へと愛の国へと進んで行きましょう。
以上