「神様に向かって進み行きましょう」
出エジプト記33:7-11
あなたの今年の目標は何ですか? もしも一年の終わりに、その目標達成ができていなかったなら、どれ程もどかしい思いをするでしょうか。ましてや人生の終わりに、生涯夢見ていた目標を達成できていなかったなら、あなたの人生はどんな評価を受けるでしょうか。失敗した人生なのでしょうか? この問いの答えは、モーセの目標とその結果がどうだったのか、そして、それについて聖書がどう語っているのかを学ぶことによって得ることができます。
モーセの目標は、イスラエルの民をエジプトから導き出し、民を約束の地カナンに入らせることでした。果たして、モーセは民をエジプトから導き出すことに成功しましたが、民をカナンの地に入らせることはできませんでした。彼はカナンの地を目前にして死んでしまったのです。
そんな彼の人生を神様はどう評価したでしょうか。「未完成」「失敗」と言われたでしょうか。いいえ、聖書は彼に最大級の賛辞を贈っています。
イスラエルには、こののちモーセのような預言者は起らなかった。モーセは主が顔を合わせて知られた者であった。 主はエジプトの地で彼をパロとそのすべての家来およびその全地につかわして、もろもろのしるしと不思議を行わせられた。 モーセはイスラエルのすべての人の前で大いなる力をあらわし、大いなる恐るべき事をおこなった。(申命記 34:10-12)
このように、神と親しく交わった唯一無二の預言者であったと記されています。その理由は、モーセが日々、神の前に進み出たからです。神に近づくこと。これが彼の願いであり喜びでした。
モーセは幕屋を取って、これを宿営の外に、宿営を離れて張り、これを会見の幕屋と名づけた。すべて主に伺い事のある者は出て、宿営の外にある会見の幕屋に行った。モーセが出て、幕屋に行く時には、民はみな立ちあがり、モーセが幕屋にはいるまで、おのおのその天幕の入口に立って彼を見送った。 モーセが幕屋にはいると、雲の柱が下って幕屋の入口に立った。そして主はモーセと語られた。 民はみな幕屋の入口に雲の柱が立つのを見ると、立っておのおの自分の天幕の入口で礼拝した。 人がその友と語るように、主はモーセと顔を合わせて語られた。こうしてモーセは宿営に帰ったが、その従者なる若者、ヌンの子ヨシュアは幕屋を離れなかった。(出エジプト記33:7-11)
このようにモーセは、会見の幕屋を張り、神の前に進み行きました。そして、友と語るように、主はモーセと顔を合わせて語られたのです。
以前のモーセは、神について話を聞いたことはあっても、神を体験することはありませんでした。ところが、神が燃える柴の中に現れてモーセを呼んだ日から、彼は神に向かって進み行く人生を歩み続けたのです。モーセは日々神様の前に進み行き、神様と語らいました。
みなさん、私たちも神様に向かって進み行きましょう。朝、目を覚ましたら、一番に心を神様に捧げる。忙しい中でも神様を黙想する。日常生活と明日を神様にゆだねる。心を傾けて祈る。そのようにして、神様との距離を縮めましょう。モーセのように顔と顔を合わせて友が話をするように、私たちの内側のすべてを打ち明けましょう。
何事も思い煩ってはならない。ただ、事ごとに、感謝をもって祈と願いとをささげ、あなたがたの求めるところを神に申し上げるがよい。 そうすれば、人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るであろう。(ピリピ人への手紙4:6-7)
神は神の前に進み出る私たちの人生に、驚くべき恵みを注いでくださいます。初期キリスト教の最大の神学者であり思想家であるアウグスティヌスは、心の底では「清く生きたい」と願いながらも肉体的な欲求や罪の誘惑に勝てない自分に深く絶望していました。彼は、自分の内に深く根を下ろしている罪と悪の問題を解決するため、およそ9年間、マニ教を信心しました。マニ教の教えは、罪悪感に苦しむ彼にとって、ある種の慰めや理屈を与えてくれるものでした。しかし、結局は彼の問題を解決することはできませんでした。
結果的に、アウグスティヌスの問題は、神の中で解決されました。暗闇という実体があるのではなく、光(神)がそこに来れば、暗闇は存在できなくなる。彼は神に近づくことで、ようやく内面の暗闇に打ち勝つ平安を得たのでした。善そのものであり、光自身である神様に近づけば、悪は自然に消えていく。神様に近づけば近づくほど、あなたの内にある暗闇は完全に消滅します。罪と悪に打ち勝つ方法、悩み・恐れ・不安・葛藤・憎しみ・嫉妬・怒り・挫折・欲望・傲慢を消し去る方法は、神様に近づくことなのです。
愛する皆さん、私たちも日々神様に向かって進み行き、神様にもっと近づきましょう。主は言われます、「恐れてはならない、わたしはあなたと共にいる。驚いてはならない、わたしはあなたの神である。わたしはあなたを強くし、あなたを助け、わが勝利の右の手をもって、あなたをささえる。」(イザヤ書 41:10)と。
モーセはカナンに入ることはできませんでしたが、最高の賛辞を神様から受けました。神様が人生を評価する基準は結果ではないのです。たとえ目標を達成することができなくても、日々神様に向かって進み行く人生を生きるなら、それ自体が成功です。今年の教会の標語は「道に進み行きなさい」です。神様を忘れたままの行進になりませんように切に切に願います。
以上