「すべてがうまくいきました」
ヨハネの第三の手紙1-4
あと三日で新年を迎えます。みなさん、一年間本当にお疲れ様でした。そして、ありがとうございました。この時期、誰でも心の電卓をたたいて一年を決算します。あなたの一年は黒字でしたか?それとも赤字でしたか? 黒字であったと考える方は、高慢にならず神様に感謝すべきです。赤字と思われた方は、落胆してはいけません。そもそも人生は黒字・赤字で判断することはできません。皆さんは、神様を敬い、礼拝をささげ、多くの努力をしてこられたと思います。自分に向かって「一年間よくやった、あなたは最高です!」と自分をほめてあげてください。
今日の聖書箇所は、人生で真に重要なものは何であるかを教えてくれます。
愛する者よ。あなたのたましいがいつも恵まれていると同じく、あなたがすべてのことに恵まれ、またすこやかであるようにと、わたしは祈っている。(ヨハネの第三の手紙2)
この御言葉は、多くの人々に希望と喜びを与える御言葉ですが、誤解している方も少なくないため気を付けなければなりません。私たちはたましいがいつも恵まれ・すべてのことに恵まれ・すこやかであることが、幸福な人生の基準であると考える傾向があります。確かに、信仰も家庭も仕事もすべてうまくいき、病気もせず健康であれば、私たちは神の祝福を受けていると思います。反対に、信仰生活が難しく家庭に問題があり経済的にも苦しく体の具合が悪ければ、神の祝福を受けていないと考えがちです。本当にそうでしょうか。この素晴らしい御言葉に誤解が生じないようにするために、また、2025年を一生懸命生きてきたあなたを激励するために、この御言葉の本来の意味を深く考えたいと思います。
恵まれという言葉は、ギリシャ語の原文聖書で用いられている単語を調べると「良い道に行く」という意味があります。よい道とは、必ずしも広く平らな歩きやすい道とは限りません。目的地に向かう道であれば、狭く険しい道でも良い道であり、目的地から離れる道は舗装された良い道に見えても悪い道です。ですから、人生の本当の良い道、幸せな道を評価するときの重要な基準は方向であると言えます。
それでは、キリスト者にとって正しい方向とは何でしょうか。それは、正しく正直に生きるということです。裕福で成功し求めているものをすべて得られても、正しさも正直さもないならば恵まれていることにはなりません。私たちたちが追求すべき価値は、正しさと正直さなのです。願ったとおりになること、欲望のとおりになることが祝福と解釈するのは大きな間違いであり、それは恵まれているようであっても結局は個人と教会と家庭に混乱をまねきます。
それでは、正しさや正直さを追求するにはどうすればよいでしょうか。その答えは次の御言葉にあります。神はすべての正しさと正直さの源泉であり、聖書の御言葉が私たちを導いてくれるのです。
聖書は、すべて神の霊感を受けて書かれたものであって、人を教え、戒め、正しくし、義に導くのに有益である。 それによって、神の人が、あらゆる良いわざに対して十分な準備ができて、完全にととのえられた者になるのである。(テモテの第二の手紙3:16-17)
正しく正直に生きられたモデルがいます。それはイエス・キリストです。イエスは十字架にかかる前にゲツセマネの園でこう祈られました。
「わが父よ、もしできることでしたらどうか、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの思いのままにではなく、みこころのままになさって下さい」。(マタイによる福音書26:39)
このように、イエスは十字架という苦しい杯を受けないようにしてほしいと父なる神に正直に願い出ましたが、「しかし」と、父なる神の御心がなされること、すなわちご自身が十字架をつけられるという正しい道、イエスがメシヤとして来られた目的を成し遂げる道を祈られたのです。
今日の聖書箇所の「ヨハネの第三の手紙」は、イエスの弟子ヨハネから、ガイオという人物にあてられた手紙です。ガイオは、正しく正直な人であることが、次の箇所から分かります。
兄弟たちがきて、あなたが真理に生きていることを、あかししてくれたので、ひじょうに喜んでいる。事実、あなたは真理のうちを歩いているのである。わたしの子供たちが真理のうちを歩いていることを聞く以上に、大きい喜びはない。(ヨハネの第三の手紙3-4)
ガイオは真理のうちを歩いている人でした。教会の中心人物であり、優しい心の人、人々をよくもてなす人でした。愛するみなさん、私たちは真理の根源である神を礼拝する礼拝者として今ここにいます。神を愛し、神の御心がなされることを願う人として、今ここにいます。それで充分です。黒字か赤字か、高いか低いか、賢いかそうでないか、富があるか貧しいか、それらは問題ではありません。大切なのは礼拝者として神を見上げながら、自分の弱さを認め、神に助けを求めることができる心で今ここにいるかどうかです。そうであるならば、それで十分です。これが真理を追求する人生なのです。真理を追究する人は、真理である神を礼拝し、信頼し、従います。だから、礼拝者としてここにおられるだけで十分なのです。
私の人生は本当に恵まれているのでしょうか?と尋ねる方がおられるなら、あなたをほめる心でこう申し上げたい。「あなたは本当に尊い人です。あなたは最高です。あなたはすべてに恵まれています。神様はあなたを守っておられ、あなたを一瞬でも忘れることはありません。これからも神様の恵みがあなたの上に注がれるでしょう。そして真理に従う正しさと正直さが、あなたを天国の門の前で待っておられるイエス・キリストに至らせるでしょう。」
この一年を助けてくださったエベネゼルの神に、すべての感謝と賛美をささげましょう。
以上