「裂け目から湧き出る泉」2025.12.7
出エジプト記2:11-22

先週は収穫感謝礼拝をささげましたが、感謝も喜びもない収穫感謝節を迎えた人もいるのではという思いがして、感謝とともに胸が詰まるような時間でありました。秋は実り豊かで幸せな季節であり、同時に不安や淋しさを感じさせる季節でもあります。八方ふさがりで進むべき道を見失った人にとって「感謝」や「幸せ」はどこか遠い国の言葉のように聞こえるかもしれません。

しかし、真の幸せはぬくぬくとした温室よりも、風が吹きすさぶ荒野で発見するものであり、小さなことに感謝する心にこそ幸せは訪れるものであると私は思うのです。その理由は、聖書の人物たちはみな平たんな人生を歩んでおらず、彼らは小さな裂け目から湧き出る泉のような神の恵みによって生きた人たちだからです。モーセは、まさにもそのような人でありました。

モーセはエジプトの王パロ(ファラオとも言います)から命を狙われ、ミデヤンの荒野に入って身を隠しました。荒野は死の地です。人に出会わず水と食料を得られなければ必ず死ぬ。モーセの人生は、彼が育ったエジプトの宮殿というすべてをそなえた究極の高みから、荒野という死と隣り合わせの究極のどん底に落ちてしまったのでした。しかし、神は小さな裂け目から、モーセに恵みを流してくださいました。

パロはこの事を聞いて、モーセを殺そうとした。しかしモーセはパロの前をのがれて、ミデヤンの地に行き、井戸のかたわらに座していた。(出エジプト記2:15)

絶望したモーセは荒野の中に井戸を見つけました。きっと歓声をあげて喜んだでしょう。ああ、これで渇死することもないし、井戸の近くには人が住んでいるのでうまくいけば食料が得られる! 広大なミデアンの荒野から見れば、井戸は小さな地の裂け目でしたが、そこからモーセの人生は新たな方向に展開していったのです。

さて、ミデヤンの祭司に七人の娘があった。彼女たちはきて水をくみ、水槽にみたして父の羊の群れに飲ませようとしたが、 羊飼たちがきて彼女らを追い払ったので、モーセは立ち上がって彼女たちを助け、その羊の群れに水を飲ませた。 彼女たちが父リウエルのところに帰った時、父は言った、「きょうは、どうして、こんなに早く帰ってきたのか」。 彼女たちは言った、「ひとりのエジプトびとが、わたしたちを羊飼たちの手から助け出し、そのうえ、水をたくさんくんで、羊の群れに飲ませてくれたのです」。 彼は娘たちに言った、「そのかたはどこにおられるか。なぜ、そのかたをおいてきたのか。呼んできて、食事をさしあげなさい」。 モーセがこの人と共におることを好んだので、彼は娘のチッポラを妻としてモーセに与えた。(出エジプト記2:16-21)

このようにモーセは井戸で女性を助けた縁で結婚しました。裂け目から出る恵みに導かれたことによって、生涯の伴りょを神様からプレゼントしていただき、家庭というオアシスが与えられたのです。そして40年後、この小さな井戸から始まった神の恵みが、大きな神の栄光をあらわす出来事(出エジプト)になるのです。

結婚したモーセは男の子を授かりました。長男はゲルショムと名付けられました。

彼女が男の子を産んだので、モーセはその名をゲルショムと名づけた。「わたしは外国に寄留者となっている」と言ったからである。(出エジプト記2:22)

ゲルショムとは寄留者(外国に一時的に住む者)という意味です。モーセはミデヤンの地で家庭を持ちましたが、自分自身はそこは寄留の地であると考えたのです。すべての人は地上では旅人であり寄留者(ヘブル人への手紙11:13)です。旅人や寄留者に必要なものは何でしょうか。モーセの次男の名前でそれが分かります。次男はエリエゼルと名付けられました。

ほかのひとりの名はエリエゼルといった。「わたしの父の神はわたしの助けであって、パロのつるぎからわたしを救われた」と言ったからである。(出エジプト記18:4)

このように、ゲルショム(寄留者)にはエリエゼル(神はわが助け)が必要なのです。私たちはみな人生の時間を旅する旅人であり、天国から離れた外国に一時的に住んでいる寄留者であって、いつの日かふるさとである天の御国に帰国します。異国の地で暮らす私たちに必要なのは、神の助けであります。

わたしは山にむかって目をあげる。わが助けは、どこから来るであろうか。わが助けは、天と地を造られた主から来る。(詩篇121:1-2)

この助けが、私たち一人ひとりに与えられています。孤独と不安で絶望する人たち、四方八方がふさがれて出口がなくなった人たち、決して落胆しないでください。裂け目から湧き出る泉が必ずあります。必要なのはそれを見つけ出す目です。神の前に進み出てください。すでにどこかの小さな裂け目から神の恵みがしみ出ているはずです。祈りの中で、それを発見する目が開かれますようにと心から願います。今年の最後の一か月を神の御前で祈る時間を持ちながら過ごされますように。どこにいても、何をしても、わが助けは、どこから来るであろうか。わが助けは、天と地を造られた主から来ると口に出して祈ってください。そのようにして、もうすぐ来るクリスマス、新しい年を、感謝と賛美で迎えられますよう心から願います。

以上