「私たちに来られた主」2025.11.23
マルコによる福音書2:13-22

年を取ると特に思うことは、よい医者に出会うことの大切さです。このお医者さんに出会って本当によかったなあ、と思えるのは幸せなことです。私たちは、みな霊と魂の深いところの病をわずらっている重症患者です。この病は死に至る病、致死率100%。病因は罪です。罪は良心を殺し、霊と魂を腐敗させます。その病状は深刻で苦しく、人間関係が壊され、孤独に包まれ、どんな楽しいことをしても喜びも満足もなく、ただただむなしい。この病はやっかいなことに自分では治せません。多くの哲学者や科学者も治療方法を見出すことはできませんでした。今日の聖書箇所は、この恐ろしい病を治療する医者がいることを教えてくれます。

イエスはまた海べに出て行かれると、多くの人々がみもとに集まってきたので、彼らを教えられた。 また途中で、アルパヨの子レビが収税所にすわっているのをごらんになって、「わたしに従ってきなさい」と言われた。すると彼は立ちあがって、イエスに従った。 それから彼の家で、食事の席についておられたときのことである。多くの取税人や罪人たちも、イエスや弟子たちと共にその席に着いていた。こんな人たちが大ぜいいて、イエスに従ってきたのである。(マルコによる福音書2:13-15)

この当時のユダヤはローマ帝国の属州として支配され、取税人は、ローマから委託されて民から税金を取り立て、その一部を自分の懐に入れていましたので、人々から罪びと同列に扱われとても軽蔑されていました。そんな取税人のレビに、ある日、イエスが訪ねてきたのです。イエスはレビに「わたしに従ってきなさい」と言われると、レビは立ちあがって、イエスに従ったのでした。

当時のユダヤ人たちは取税人とは付き合うことをしませんでした。物乞いでさえ取税人からの施しは拒否するほどだったといいます。そんな罪びとの代表とみられていた取税人と会話することも、その家に行くことも、いっしょに食事をすることも絶対になかったのに、イエスは自分から取税人レビを訪ねられたのです。それは、彼を治療し、その心をいやし、そして救うためでした。イエスはいかなる哲学者や科学者も解決できない致死率100%の疾病からレビを救うために訪ねてこられました。それができるのはイエスだけでした。

その日レビは、イエスを迎えて喜びのあまり多くの取税人仲間や罪びとたちを呼び集めて食事会を開きました。それを見たパリサイ派や律法学者といったユダヤの指導者たちは激しく非難しましたが、イエスは、ご自身こそが恐ろしい絶望的な疾病を治療できる医者であると語られました。

パリサイ派の律法学者たちは、イエスが罪人や取税人たちと食事を共にしておられるのを見て、弟子たちに言った、「なぜ、彼は取税人や罪人などと食事を共にするのか」。 イエスはこれを聞いて言われた、「丈夫な人には医者はいらない。いるのは病人である。わたしがきたのは、義人を招くためではなく、罪人を招くためである」。(マルコによる福音書2:16-17)

イエスを非難する者たちは、自分たちの努力によって罪からの救いを受けられると考えていました。その努力の中の一つが断食でした。それで彼らはイエスの弟子たちが断食しないことを非難しはじめたのです。

ヨハネの弟子とパリサイ人とは、断食をしていた。そこで人々がきて、イエスに言った、「ヨハネの弟子たちとパリサイ人の弟子たちとが断食をしているのに、あなたの弟子たちは、なぜ断食をしないのですか」。 するとイエスは言われた、「婚礼の客は、花婿が一緒にいるのに、断食ができるであろうか。花婿と一緒にいる間は、断食はできない。 しかし、花婿が奪い去られる日が来る。その日には断食をするであろう。(マルコによる福音書2:18-20)

盲腸炎になった人は消化剤をのむのではなく早く手術受けるべきであるように、罪の問題はいくら断食しても解決できません。罪びとは早急にイエス様から魂の手術を受けるべきです。

それでは、イエスはどのような方法で罪の問題を解決されるのでしょうか。罪びとは、罪びとをゆるすことはできず、したがって罪から救い出すこともできません。しかし、イエスは罪のない神のひとりの御子であられます。その方が、私たちの罪の代わりに十字架につけられ死なれた。私たちの死ぬべき場所にイエスが身代わりになって行かれ尊い血を流された。主の血潮には、どんなに凶悪な罪をも洗い清める力があります。そして新しい人生を歩む希望を与える力があります。誰でも罪を告白し、イエスを信じれば、罪のゆるしを受けます。過去にどんな人生を生き、どんな罪を犯したとしても、心から悔い改めイエスを信じ、罪を告白すれば、救いを得られるのです。罪が解決されれば、これ以上罪の奴隷ではありません。死の問題も消え去り、イエスが復活されたように私たちも死に打ち勝ち、やがて復活します。

レビは私たちの自画像です。彼が罪びとであるように私たちも罪びとです。人生の中で多くを成し遂げたとしても、私たちは罪という病原菌によって致死率100パーセントの病気をわずらっています。むなしく孤独な人生を生き、例外なしにみな死を迎えるのです。イエスがレビを訪ねて来られた出来事を通してイエスを深く悟られますようにと願います。イエスはいま、この時間、私たちに来られます。今日は私たちは収穫感謝礼拝をささげていますが、イエスが私たちに来られたことにまさる恵みはありません。天を離れて希望のない私たちに来られたイエスに心から感謝する時間となりますように。

一年を振り返ると感謝すべきことを数えればたくさんあります。今日という日を迎えられたこと、家族が健康で平和に生活できること、すべてが感謝です。会社で働けること、愛する家族と良い時間を過ごせること、すべて感謝です。数えきれないほどの感謝があるはずです。感謝を数える収穫感謝礼拝をささげ、家に帰っても誰かに感謝することができるみなさんと私になれることを心から願います。

今するべきことは、ただ一つ。レビのように自らイエス様の招待に応じて、心の王座にイエス様をお迎えすることです。レビは今まで生きてきた人生をその場に置いて、イエスに従う新しい人生に挑戦しました。取税人としてお金を集める人生、この世のものにしがみつきこの世にすべてをかける人生をやめて、永遠の天の御国に希望を置いて残りの人生を生きるようになりました。レビのようにイエスのみことばに聞き従うみなさんとなることを願います。人生をイエスにゆだねる皆さんとなられますように心から願います。

誰でもイエスを信じれば滅びることなく永遠の命を得ます。
神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。 (ヨハネによる福音書3:16)

誰でもイエスとともに生きる決心さえすれば、神の子となる力をイエスは与えてくださいます。
しかし、彼を受けいれた者、すなわち、その名を信じた人々には、彼は神の子となる力を与えたのである。(ヨハネによる福音書1:12)

みなさんと、みなさんのご家族が、イエス様を心にお迎えされますように、そしてイエス様を信じて罪のすべての問題を解決し、永遠の命を得て、天の御国の民として生きられますようと心から祈ります。

以上