今日は預言者エリヤを通して、私たちキリスト者が今の時代をどのように生きるべきか、そしてどのような霊的使命を社会や家庭において果たすべきかを考えてみたいと思います。エリヤは、紀元前9世紀ごろ北王国イスラエルで活動した預言者です。当時、北王国はアハブ王が統治していました。アハブは、シドンの王エテバアルの娘イゼベルと結婚し、イゼベルが持ち込んだ不道徳で堕落した儀式を行うバアル礼拝を国じゅうに広めました。エリヤはカルメル山でバアルに仕える預言者たちと対決し、主は祭壇に火を降されて主こそ真の神であることを証明されました。しかし、イゼベルはこの敗北を認めず激怒し、エリヤを殺すと宣言します。恐れたエリヤは逃亡し、やがて疲れ果て絶望して自らの死を主に願い出ました。

自分は一日の道のりほど荒野にはいって行って、れだまの木の下に座し、自分の死を求めて言った、「主よ、もはや、じゅうぶんです。今わたしの命を取ってください。わたしは先祖にまさる者ではありません」。(列王記上19:4)

そのようなエリヤに主は食事と休息を与えました。力づけられたエリヤはシナイ山に送られました。そこでエリヤは、次のように自分の置かれている悲惨な状況を訴えました。

「わたしは万軍の神、主のために非常に熱心でありました。イスラエルの人々はあなたの契約を捨て、あなたの祭壇をこわし、刀をもってあなたの預言者たちを殺したのです。ただわたしだけ残りましたが、彼らはわたしの命を取ろうとしています」。(列王記上19:10)

エリヤは「ただわたしだけ残りました」と、孤独な身であることの不安と命が奪われることの恐れを訴えました。これに対し、主は次のように語りエリヤを励ましました。

わたしはイスラエルのうちに七千人を残すであろう。皆バアルにひざをかがめず、それに口づけしない者である。(列王記上19:18)

エリヤは孤独ではなかったのです。しかし、エリヤはこの7000人の残れる者たちの存在を知りませんでした。イスラエルの町を歩き回り住民全員に会って話を聞かない限り知ることはできなかったでしょう。私たちも同じです。世界のいたるところで神を信じ福音のために働いている人の話を聞くことはとても大切です。神を愛する人に力強く神が働いておられること、彼らの祈りに答えておられること、そういった証しを聞くことは大きな励みとなり希望となります。それは大きな問題や病や死に直面している者に、それを乗り越える力と勇気を与えてくれます。

また、いくら7000人いるとしても、そばにいて信仰をともにし助けてくれる人が誰もいないなら一人でいるのと変わりありませんし、仮に「私はバアルを崇拝しません。けれども人前に出ることはしたくありません」「自分の正体を知られたくないのです」「自分の正体がわかることで災いがおよぶのを恐れています」「神様に対してまだ確信がないのです」「もう少し神様を体験した後に考えてみましょう」というような霊的状態の人たちばかりであれば、孤独を解消することはできないでしょう。霊的に目を覚まさない限り、たとえ7千人が7万人であったとしてもその数字に何の意味もないのです。

私たちはどうでしょうか。私たちの時代はどうでしょうか。人は誰でもひとつの時代に生まれ、その時代の痛みとともに一生を生きます。自身が選んだ時代ではないけれども、その時代の痛みを経験します。私たちの時代は経済発展の弊害や道徳的な堕落が極に達した時代と言えるかもしれません。人々から信仰心がなくなり、教会危機の時代に私たちはいます。人は時代を選ぶことも時代から抜け出すこともできません。人生の痛みと時代の痛みは、息をして生きている人が負うべき十字架です。

では、どうすればよいのでしょうか。私たちキリスト者は痛みを共有しながら、その時代に必要とされる使命者としてまた信仰者として生きるべきです。そして、暗い時代の明かりになるべきです。それは絶望の中にあってもイエス・キリストを見上げることによって可能となります。イエスを信じる者は、希望と癒しと回復を体験することができます。神様の子供として勝利者になることができます。そうです、時代の暗闇の中で光の子として、神様のしもべとして、神様の民としての使命を果たすことのできる人、それは今教会に来て礼拝を捧げている、あなたです。

そして、教会がこの時代における「世の光と地の塩」(マタイ5:13、14)になるとするならば、霊的に満たされ、目を覚まし、起き上がらなければなりません。今の時代は豊かになる条件がよく整っているけれども、教会は過去よりも弱くなっています。その理由は神様の恵みを体験していないからです。神様の力と霊的リバイバルを経験することなく、どうして神様のみわざをあらわすことができるでしょう。いまこそ、信仰によって神の御力と霊的リバイバルを求めなければなりません。そうすれば、教会は生き返るでしょう。私たち自身も回復し癒されるでしょう。今こそ神様の前に膝をかがめて祈り、神様がおられることを体験し、そして福音を伝えるべきです。残された7000人が目を覚まして立ち上がれば、神様の偉大なみわざが起きることを目に見える形で身をもって体験することのできる日が必ず来ると信じます。

以上