紀元前9世紀頃、南ユダ王国を治めたヨシャパテ王は、神のおしえを守る真実な人でありました。彼はまさに詩編第1篇の「悪しき者のはかりごとに歩まず、罪びとの道に立たず、あざける者の座に着かない人」であり、このような人は主のおしえを喜びとし、そのなすことはすべて栄えるとあるように、主はヨシャパテと共におられ、主は国を彼の手に堅く立てられ、彼は大いなる富と誉とを得たのでした(歴代誌下17:5)。しかし、その素晴らしいヨシャパテ王にも失敗はありました。異教の神々を礼拝する北イスラエル王国のアハブ王と姻戚関係を結んだことです。それだけでなく、ヨシャパテはアハブと同盟を結んで戦争に参加するという過ちをおかしました。真実な信仰の人も、時にはまちがった判断や失敗をします。しかし、ヨシャパテから学ぶべきことがあります。それは、彼の身体にしみついた習慣であった、神様の御心をうかがうことであります。

ヨシャパテはまたイスラエルの王に言った、「まず、主の言葉を伺いなさい」。

今日は「神様を敬う人」という題で語るメッセージの第4回目です。神様を敬う人は、人生の全ての出来事において、必ず神様の御心をうかがう人、神様の考えを知ろうと努力する人です。彼は、世界と人生が人の思い通りに動くのではなく、全能の神様の見えざる御手で動くことを知っています。また、彼は絶対に自分の思い通りにはしません。それは自分を敬うことだからです。

そのころ、イスラエルには王がなかったので、おのおの自分の目に正しいと見るところをおこなった。(士師記21:25)

ダビデ王は神様の御心をうかがってから行動することで、戦いに勝利し続けました。私たちも、いつも神様の御心をたずねるべきです。自分の思いを優先させず、神様の心を知ろうと努力するべきです。神様は太陽の光ように、あるいは厚い雲のように、音もなく静かに見ておられ、静けさのうちに御心がつくられます。その御心は何年かかっても必ず成就します。

主はわたしにこう言われた、「晴れわたった日光の熱のように、刈入れの熱むして露の多い雲のように、わたしは静かにわたしのすまいから、ながめよう」(イザヤ書8:14)

神様を敬う人が捧げた祈りは、その人とその子孫の上に豊かな実を結ぶよう神様は祝福されます。神様は今も静かに私たちに向けられた御心をつくっておられます。神様の御心を私たちは恐れるべきです。

では、どうすれば神様の御心を知ることができるでしょうか。神様の御心は、聖書の中に示されています。神様の御心を知ろうとして、聖書の御言葉を読み、黙想し祈れば、心の中に平安と喜びをともなって御心が啓示されます。御言葉を読み祈っても良心にとがめがあり霊的な平安がなく不安な心の状態であれば、それは御心ではありません。そのような場合は意地を張ってはなりません。

また、神様を敬う人は、神様の御心を知ったならそれに従います。ヨシャパテは戦争は神様の御心ではないことを知りながら、アハブ王の申し出を断り切れずに戦いに出て行きました。戦場で、アハブは一般の兵士の服を着、ヨシャパテは王の服を着ることにしましたが(預言者ミカヤが「アハブは戦場で死ぬ」と言った言葉を恐れたアハブは変装することにしたのでした)、案の定、敵軍は王の服を着たヨシャパテを見つけて集中攻撃をしました。しかし、敵軍はヨシャパテが王ではないことに気づいたので攻撃をやめてヨシャパテは助かりました。一方、アハブはひとりの人が何気なく引いた矢に打たれて死んでしまいました。

ヨシャパテは御心に従わないという失敗したにもかかわらず、神様の御心を問う心をもっていたので、神様は死の危機から彼を守り救われ生かされました。これが神様のあわれみです。完全でなくても、失敗したとても、時には御心に反することをしたとしても、神様を敬う人は守られ救われます。

御心を知ったならば、その御心に従うこと。それを実行されたのがまさにイエス様です。イエス様は父なる神様の御心に従って十字架を背負われました。誘惑するサタンの試みを振り切り、イエスはゴルゴダへの道を歩まれました。そのようにして救いの道を開き、メシヤの使命を主はまっとうされたのです。

世の人々は、自分に利益があるか、自分に有利かどうかで行動します。それが世の判断基準です。私たちキリスト者の判断基準は、神様の御心です。神様が願うなら、自分の大切なもの、時間、身体をささげ、教会のために教会学校の子供たちのために働きます。暑い中でも神様のために教会の清掃に来られる方々こそ神様を敬う人たちです。

主よ、あなたの定めの道をわたしに教えてください。わたしは終りまでこれを守ります。
わたしに知恵を与えてください。わたしはあなたのおきてを守り、心をつくしてこれに従います。
わたしをあなたの戒めの道に導いてください。わたしはそれを喜ぶからです。詩編119:33-35)

私たちみんなが神様の御心に従う信仰をもって歩むことで、神に喜ばれる人生、祝福された人生を歩んで行かれますように主の御名で祝福します。

以上