昨日、私たちの愛するN姉妹が天に召されました。病に苦しまれた人生でしたが、いつもおだやかで怒る表情をほとんど見せたことがないNさん。生前、彼女が好きだった愛唱歌は「豊かな人生の条件」でした。

 豊かな人生の条件は聖書の中に 
 歴史の始まる以前から啓示されています
  *まことの神を敬い罪を悔い改め
   まごころ尽くしてキリストに従うことです

 知識も名誉も財産もはかないものです
 自分の努力や才能も限りがあるでしょう *

 本気で条件守るならあなたの人生は
 試練のときでも喜びがあふれてくるでしょう *

 豊かな人生の条件を整えるために
 主イエスは十字架で苦しみを受けられたのです *

苦しい時は、いつもこれを歌われたそうです。「本気で条件守るならあなたの人生は試練の時でも喜びがあふれてくるでしょう」まさにこの通りに生き、いつも神様に慰められていたからこそ、おだやかな表情を絶やすことがなかったのだと思います。

今日は、ダニエルの信仰を通して「神様を敬う人(3)」をお話ししたいと思います。ダニエルは、バビロン王ネブカデネザルがユダ王国に来襲した第一回の時(紀元前606年)、おそらく15歳前後の少年の身でバビロンに捕らえ移されました。しかし、容姿が美しく、すべての知恵にさとく、知識があって、思慮深く、王の宮に仕えるに足る若者の一人に選ばれます。ダニエルは王の信頼を受けて高い地位につき、時には憎まれて死の危機に瀕することもありましたが、いかなる状況下でも揺れ動くことはありませんでした。その秘訣は、人生を揺れ動く変数の上に立ち上げるのではなく、神様という永遠に変わることのない定数の上に立ち上げたことです。

バビロン捕囚から67年後の紀元前539年、バビロンはペルシャに滅ぼされました。しかし、ダニエルはそこでも高官に任命され、3人の大臣のうちの一人に選ばれます。ダニエルは他の二人の大臣よりも際立って秀でていたので、王はダニエルに全国を治めさせようと思いました。そこで二人の大臣はダニエルを陥れようとしましたが、清廉潔白なダニエルに欠点は見つかりませんでした。そこで彼らはダニエルの信仰に目を付け、「今から三十日の間は、ただあなた(王)にのみ願い事をさせ、もしあなたをおいて、神または人にこれをなす者があれば、すべてその者を、ししの穴に投げ入れる」という内容の禁令を王に発布させたのでした。王はこの禁令が自分が最も信頼しているダニエルを殺すためのものと気づかなかったのです。

普通の人なら、ししの穴に投げ入れられることを恐れて神様を礼拝することを止めるでしょう。あるいは、隠れて神に祈るかもしれません。しかし、ダニエルは恐れることなく、むしろ毅然たる態度をとりました。

ダニエルは、その文書の署名されたことを知って家に帰り、二階のへやの、エルサレムに向かって窓の開かれた所で、以前からおこなっていたように、一日に三度ずつ、ひざをかがめて神の前に祈り、かつ感謝した。 (ダニエル書6:10)

その結果、ダニエルは告発されてししの穴に投げ込まれました。しかし、彼らの計画は失敗しました。翌朝、ししの穴に行って王が呼びかけると、ダニエルは元気に答えました。

ダニエルは王に言った、「王よ、どうか、とこしえに生きながらえられますように。 わたしの神はその使をおくって、ししの口を閉ざされたので、ししはわたしを害しませんでした。これはわたしに罪のないことが、神の前に認められたからです。王よ、わたしはあなたの前にも、何も悪い事をしなかったのです」。 そこで王は大いに喜び、ダニエルを穴の中から出せと命じたので、ダニエルは穴の中から出されたが、その身になんの害をも受けていなかった。これは彼が自分の神を頼みとしていたからである。(ダニエル書6:21-23)

「神様を敬う人」とは、人を頼みとせず神様だけを信じ頼みとする人です。ダニエルは王に助けを求めることもあるいはできたはずです。しかし、そうしませんでした。王を頼みとしたら結果は虚しかったでしょう。人が生かそうとしても神様が死なせるなら死ぬし、人が殺そうとしても神様が生かすなら生きる。そのことをダニエルはよく知っていたのです。

私も牧師をしながら人を頼みとしたことが多くあります。私の考えに賛成しそばで励ましてくれる信徒、目に見えて忠実な信徒を頼みとしたのです。しかし、そのような信徒が、ある日突然教会を離れました。落ち込みました。その時、歴代誌下16章に南王国ユダのアサ王が足の病気にかかり神様ではなく医者を頼みとした箇所を読み、私はまさに医者だけを頼っていたアサ王のようであると言われた思いがしました。人は来ることもあり去ることもあるが、神様は永遠に私と共におられ、いつもそばで助けてくださることをもう一度悟ることができました。私が牧師になろうとした時も、牧師としての働きを始めた時も、考えてみれば忠実な信徒はいなかったではないか。その時も今も変わらず続けて私のそばで助けてくださる方、支えてくださる方は神様である。なぜ私は人を頼みとするのか。そう考えると心が落ち着き、離れる人を祝福し送ってあげなければならないと思えるようになりました。

みなさん、人を頼らないようにしてください。激励してくれる人、味方してくれる人、自分を支持してくれる人、家族さえも、頼らないようにしましょう。人は誰でも弱く変わりやすいからです。人を頼りたい心を捨てて神様だけを頼る、そのような激しい霊的戦いを戦うべきです。人は頼みとすべき対象ではなく、愛する対象であり、祈ってあげる対象なのです。

「神様を敬う人」は神様から祝福された状況さえも頼りません。バビロンに捕らえ移されたダニエルが受けた王たちの信任は、神様が与えた祝福でありました。しかし、ダニエルは神様と神様が与えた祝福とを混同しませんでした。彼は神様が与えて下さった祝福された状況を頼る人ではなかった、例えるなら、親ではなく親の手にあるプレゼントだけに関心があり走って行く子供ではありませんでした。残念ながら、多くの人は神様ではなく神様が与えて下さった祝福された状況を頼ります。しかし、状況は変数です。まさにダニエルが、ダニエルを信頼した王によって、ししの穴に投げ入れたことを覚えておくべきです。今の良い状況は明日の苦しみの原因になることがあります。権力者を頼ればその権力者が権力の座から追われれる日ともに追われるでしょう。永遠に変わることのない定数である神様だけに集中しましょう。

そして、さらに重要なことを申し上げます。それは、人が神様に集中する以前に、神様が先に私たち一人一人に集中しておられるということです。いくら私たちが神様を見上げようとしても神様が私たちを無視するならどうなるでしょう。しかし神様は不変であるだけでなくいつも私たちと共におられます。私たちを忘れることなく愛しておられます。弱い者たちが涙をもって祈る時、神様はそこに共におられます。病の中で苦しむ者が叫び祈る時、神様はそこに共におられます。神様は全ての状況で、全ての信徒にとって、永遠に変わることのない定数であられます。昼も夜も、順風の中でも逆風の中でも、愛を受けている時も憎しみを受ける時も、豊かな時も貧しい時も、変わることのない神様だけを信頼する。まさにその人が「神様を敬う」人です。

以上