詩篇127篇は、本当にすばらしい詩編です。特に1節と2節は多くの信徒に愛唱される箇所です。
詩編127篇 ソロモンがよんだ都もうでの歌
主が家を建てられるのでなければ、建てる者の勤労はむなしい。
主が町を守られるのでなければ、守る者のさめているのはむなしい。
あなたがたが早く起き、おそく休み、辛苦のかてを食べることは、むなしいことである。
主はその愛する者に、眠っている時にも、なくてならぬものを与えられるからである。(詩編127:1-2)
一生懸命に努力しても実を結ばない時が人生にはたくさんあります。神なしにいかに努力しても労苦を味わうのみであります。しかし、すべてを神にゆだねた人には安眠が与えられます。
続く3節から5節は、温かく楽しい幸せな家庭、子供が与えられる祝福について語られています。
見よ、子供たちは神から賜わった嗣業であり、胎の実は報いの賜物である。
壮年の時の子供は勇士の手にある矢のようだ。
矢の満ちた矢筒を持つ人はさいわいである。
彼は門で敵と物言うとき恥じることはない。(詩編127:3-5)
このように詩編127篇は、多くの信徒に好まれる言葉で満ちています。しかし、私はこの詩編を遺憾に感じてしまいます。その理由は、この詩編を作った人物がソロモンだからです。ソロモンがどのような人物かを知ると、この詩の作者にふさわしくないと思われます。彼がこれを作ったことに疑問を抱かざるを得ないのであります。
ソロモンは、莫大な財産を所有していました。ですから「神様、私の力では家を建てられないので、どうか神様が建ててください」と祈ったとは思えません。またソロモンは、エジプトの王ファラオの娘と結婚しましたが、まったく神様を知らず偶像を崇拝するエジプトの娘と一緒になり、神を敬う敬虔な家庭を築くために祈ったと考えるのはやはり難しい。それだけでなく、ソロモンの結婚生活は実に無秩序でした。聖書はこう書いています。
ソロモン王は多くの外国の女を愛した。すなわちパロの娘、モアブびと、アンモンびと、エドムびと、シドンびと、ヘテびとの女を愛した。 主はかつてこれらの国民について、イスラエルの人々に言われた、「あなたがたは彼らと交わってはならない。彼らもまたあなたがたと交わってはならない。彼らは必ずあなたがたの心を転じて彼らの神々に従わせるからである」。しかしソロモンは彼らを愛して離れなかった。 彼には王妃としての妻七百人、そばめ三百人があった。その妻たちが彼の心を転じたのである。 ソロモンが年老いた時、その妻たちが彼の心を転じて他の神々に従わせたので、彼の心は父ダビデの心のようには、その神、主に真実でなかった。(列王記上11:1-4)
そのようなソロモンが温かい家庭生活を求める祈りをしたでしょうか。多くの妻からたくさんの子供が生まれたソロモンが、子供たちは神から賜わった嗣業であると思っていたでしょうか。このようにソロモンは、この詩の作者として似つかわしくないので、私の中に遺憾な感情が生じるのです。いつソロモンが町を敵から守ったでしょうか。そのようなことはなかったのです。ですから主が町を守られるのでなければ、守る者のさめているのはむなしいと、ソロモンが祈ったことは恐らくなかったでしょう。父ダビデは激しい戦を経験して王になりましたが、ソロモンは戦いを一切経験せず何の苦労もなく王の座につき、父が築いた富貴栄華を楽しんだ人なのです。
それでは、私たちは詩編127篇をどのように解することができるでしょうか。
ひとつは、人はいくらでも自分を偽装できるという解釈です。神様を敬わないで多くの異邦の偶像を崇拝する女性たちと交わりながら神の前では美しい歌を作る。悪い人であってもすばらしい言葉で自分を偽装できます。憎悪に満ちた相手であっても「あなたを愛します」と口では言うことができます。それが人間です。もう一つは、はじめは謙遜で素直に真実な心で神を敬い詩編127篇を書いた後に栄華と権勢におぼれて変質した場合であります。人間は誰でも変わる可能性があります。何の苦労もしなかったゆえに、始めはそうでなかったのに人の上に立って高慢な人に変わることはたくさんあります。こういった考えが詩編127篇を読むたびに想起されるために、遺憾に思う心が生じるのです。
以上の話は、何もソロモンに限ったことではなく私たちの話でもあります。私が説教で話す内容と私の人生が異なるために、私の説教を聞く皆さんが遺憾に思うことがあるかもしれません。皆さんも、祈った内容と違う行いをすれば、自分の祈りを遺憾に思うようになるかもしれません。「神様、あなたの敵を愛せよと御言葉にありますので、私は敵のために祈ります」このように祈りをした直後に他人の悪口を言ったり、礼拝に出席して「今日は恵まれた」と言いながら教会から出るや否や妻とケンカを始めることもあるでしょう。私たちの祈りや言葉は常に遺憾になる恐れがあるのです。
今年も後半に入りました。みなさん、遺憾を残さないよう努力しましょう。神をほめたたえる祈りをしたなら、本当に神様を讃美しましょう。教会の祝福を祈ったなら、本当に教会を愛し、教会のために汗をかきましょう。家庭の祝福を祈ったなら、本当に家庭を神の御言葉の上に建てる努力をしましょう。私たちは小さいものでありますが、祈ったとおりに生きる努力をすべきです。真実な心で努力すれば、すべて守れなかったとしても神様は理解してくださるでしょう。私たちの内と外が神の前で一致することを、心から願います。
以上