1.創立43周年を迎えて
私たちの交野ベタニヤ教会は、創立43周年を迎えました。教会と信徒の関係は、母親と生まれたばかりの赤ちゃんにたとえることができます。赤ちゃんが母親から離れては生きられないように、信徒は教会を通して供給される恵みと御言葉によって霊的に生かされます。この恵みのゆえに、私たちは教会にとどまり、教会を愛するべきであると思います。

教会生活を続ける中で、時には教会の弱い部分や、良くないところ、喜べない一面が目についてしまい、心に引っかかりを覚えることがあります。中には、自分で良い教会を探してそこに転会しようとする方もおられます。けれども、良い教会とは、探すものではなく、信徒一人ひとりが祈りで育てるものであると私は思います。

教会に何か問題を感じたとしても、イエス様が、この交野ベタニヤ教会をたて、この教会を通して福音を与え、この教会に福音伝道をゆだねてくださっているのです。みなさんが、この教会をもっと愛し、神の栄光があらわれる美しい教会となれるよう、祈りで育てることに務めて下さることを心から願います。

2.昨日も今日も変わることがないイエス・キリスト
私の人生を振り返ると、イエス様は私の置かれた状況によって、様々な姿で私に近づいてくださいました。ある時には慰め主として、ある時には治療者として、人生にさまよう時にはよき導き手として、牧師である私が迷う時には導いてくださる牧者として、この世のむなしさを感じる時には罪と死と悪魔からの救い主として近づき、御手を差し伸べて下さいました。

これからもイエス様は、私が直面する様々な人生の場面の中で、様々な姿をとって近づいて下さると信じています。そしていつか、人生の最期を迎える私を抱きかかえて、永遠なる天国に導いてくださると信じています。人は変わります。しかし、イエス様は変わることなくいつも共に人生を歩んでくださる。これは誠に幸せなことです。

イエス・キリストは、きのうも、きょうも、いつまでも変ることがない。(ヘブル人への手紙13:8)

イエス様は、大西コマチ牧師を主任牧師としてこの教会を設立され、今日まで私たちを導いてくださり、本日このように教会創立43周年を迎えさせてくださいました。イエス様はこの教会を、昨日も今日も変わることなく導いて下さいましたし、これからもずっと変わることなく導いて下さるでしょう。

3.教会の土台はイエス・キリスト
ヘブル人への手紙の著者は、旧約時代の幕屋礼拝と、イエス・キリストの十字架の贖罪を比較して、イエス様が偉大なる大祭司となられた理由を語っています。旧約における祭司は、罪のゆるしを得るために、やぎや子牛を供え物としてささげましたが、イエス様は全ての人の罪を背負う犠牲の子羊として、ご自身が供え物となられました。

しかしキリストがすでに現れた祝福の大祭司としてこられたとき、手で造られず、この世界に属さない、さらに大きく、完全な幕屋をとおり、かつ、やぎと子牛との血によらず、ご自身の血によって、一度だけ聖所にはいられ、それによって永遠のあがないを全うされたのである。(ヘブル人への手紙9:11-12)

旧約の祭司がささげた礼拝はその効果が短く、罪を犯すたびに繰り返し血をささげなければなりませんでしたが、イエス様の十字架はただ一度で完全なる贖罪を成し遂げられたのです。

 大祭司は、年ごとに、自分以外のものの血をたずさえて聖所にはいるが、キリストは、そのように、たびたびご自身をささげられるのではなかった。 もしそうだとすれば、世の初めから、たびたび苦難を受けねばならなかったであろう。しかし事実、ご自身をいけにえとしてささげて罪を取り除くために、世の終りに、一度だけ現れたのである。(ヘブル人への手紙9:25-26)

私たちは、この唯一なる主イエス・キリストの上に、教会をたてなければなりません。

なぜなら、すでにすえられている土台以外のものをすえることは、だれにもできない。そして、この土台はイエス・キリストである。(コリント人への第一の手紙3:11)

みなさんが、イエス・キリストを唯一の基準とし、キリストだけに従順であられるようにと願います。イエス・キリストは私たちのために、ご自身を低くして十字架につけられることに従順されたからです。

キリストは、神のかたちであられたが、神と等しくあることを固守すべき事とは思わず、 かえって、おのれをむなしうして僕のかたちをとり、人間の姿になられた。その有様は人と異ならず、 おのれを低くして、死に至るまで、しかも十字架の死に至るまで従順であられた。 それゆえに、神は彼を高く引き上げ、すべての名にまさる名を彼に賜わった。 それは、イエスの御名によって、天上のもの、地上のもの、地下のものなど、あらゆるものがひざをかがめ、 また、あらゆる舌が、「イエス・キリストは主である」と告白して、栄光を父なる神に帰するためである。(ピリピ人への手紙2;6-11)

イエス・キリストは昨日も今日もいつまでも変わりません。私たちのイエス様への信仰と愛も、いつまでも変わらないようにと願います。そして、今から数十年いや100年後の信徒たちが交野ベタニヤ教会創立記念礼拝を守り、唯一なるキリストの上に立つ交野ベタニヤ教会であり続けることを心から願います。

以上