聖書の中には「恐れるな」「思いわずらうな」「心配するな」という意味の言葉が数100回しるされています。なぜなら、恐れや思いわずらいによって、私たちの心と体は病むようなり、また、精神を混乱させて正しい判断力を奪って、してはならないことをしたり、するべきことをしないようになるからです。悪魔は、不安や恐れを利用して私たちの心をとらえて人生を敗北に追いやるよう常にねらっています。ですから、私たちは恐れや不安に打ち勝ち、心の中にいつも平安を所有し維持しなければなりません。どうすれば、それが出来るでしょうか。
1.考えを調節する
エアコンで部屋の中の温度を調節するように、御言葉で心の中の考えを調節します。外部環境がどのように変わっても、どんな情報や刺激が入ってきても、恐れや不安を受け入れることをせずに、聖書の御言葉で考えを調節するのです。
人にはできない事も、神にはできる。(ルカによる福音書18:27)
神が私たちの味方であるなら、だれが私たちに敵対できるでしょう。(ローマ人への手紙8:31)
わたしを強くして下さるかたによって、何事でもすることができる。(ピリピ人への手紙4:13)
神がわたしたちに下さったのは、臆する霊ではなく、力と愛と慎みとの霊なのである。(テモテの第2の手紙1:7)
このような神の御言葉が、聖書にはたくさん記されています。これらの御言葉で心の考えを調節することで、新たな力を受けることが出来ます。
2.悔い改める
ある出来事や誰かの言葉で「悔しい」「気分が悪い」「腹が立つ」「悲しい」「不安だ」「憎い」「ゆるせない」と思ったなら、それを放置するべきではありません。フロイトは「精神の病の大部分は、心の中の善悪の葛藤のために発症する」と言いました。また、ノーマン・V・ピール博士は「1日に2回以上、心を空にしなさい。そうすれば霊と魂と肉体が強くなり、力強く創造的な生活ができる」と言われました。ゴミ箱に食べ残しがあればハエがむらがるように、心の中の罪をそのままにしておけば、悪魔が私たちの心に集まってくる。つまり罪責感を持ったままにすると、結局は自分が一番損をするのです。
悔い改めて罪責感を洗い流しましょう。憎しみや復讐心があるなら、逆にその人のために祈って祝福することで、悪い考えを取り除くのです。そして、不平不満があるとしても無理してでも感謝できるようになりましょう。今まで神様から受けた恵みと愛を思い起こせば出来るはずです。そうすれば、自然に不平不満は消えて感謝の気持ちがあふれます。そのとき人生を邪魔しようとした悪魔は自ら退きます。
もし、わたしたちが自分の罪を告白するならば、神は真実で正しいかたであるから、その罪をゆるし、すべての不義からわたしたちをきよめて下さる。(ヨハネの第1の手紙1:9)
3.執着心を捨てる
人間は何かに執着して生きています。物の所有に執着する人は、少しでも多くを獲得しようとします。しかし、いくら手に入れても次また次と物欲には限りがありません。そして、いつか必ずすべて奪われる日を迎えます。また、人に認められることに執着する人は、いつも誰かに認められたいと思いそうなるように行動します。その結果、傷つくことも多いのです。
このように、この世のものに執着すればするほど不安と悩みが多くなります。執着心は捨てなければなりません。それは、難しいことでしょうか? いえ、執着心を捨てるとは、神様中心に生きることです。自分中心主義を捨てて、神様を心の中心に迎えるのです。そうすれば人生の目的がわかるようになり、誰にも奪われることのない神の平安が与えられます。
まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう。 (マタイによる福音書6:33)
もちろん、何一つ所有してはならないということではありません。無いもののように考えて神様にゆだね、与えられたなら心から感謝する。これが平安な人生の秘訣です。つまるところ、人の不安は信頼する価値の無いものを信頼しようとするところから生まれます。だからこそ永遠に変わることのない絶対者なる神様を信頼し、そして愛すべきなのです。
4.祈る
祈りは不可能を可能にし、絶望を希望に変える力があります。人間的な方法だけに頼ることをせずに、神様に祈って物事を解決しましょう。神様は祈り求めてくるものに答えてくださるお方です。
求めよ、そうすれば、与えられるであろう。捜せ、そうすれば、見いだすであろう。門をたたけ、そうすれば、あけてもらえるであろう。すべて求める者は得、捜す者は見いだし、門をたたく者はあけてもらえるからである。(マタイによる福音書7:7-8)
祈りはクリスチャンのにとって一番大きな武器であり、なんでも開けられる鍵なのです。これをせっかく持っているのに使うことをしないから、不安と悩みに打ちひしがれる時が多くあるのです。
何事も思い煩ってはならない。ただ、事ごとに、感謝をもって祈と願いとをささげ、あなたがたの求めるところを神に申し上げるがよい。 そうすれば、人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るであろう。(ピリピ人への手紙4:6-7)
5.神様にゆだねる
いくらたくさん祈っても、信じますと何千回となえても、神様にゆだねないならすべて無駄です。家庭の重荷、経済的な重荷、罪の重荷、人間関係の中での思いわずらい、人生の不安、これらすべての重荷を神様にゆだねましょう。
神はあなたがたをかえりみていて下さるのであるから、自分の思いわずらいを、いっさい神にゆだねるがよい。 (ペテロの第1の手紙5:7)
あなたの道を主にゆだねよ。主に信頼せよ、主が成し遂げてくださる。(詩篇37:5 )
私たちは主よ私を助け導いてくださいと、愛なる主を信じてゆだねれば、神様は必ず守り導いてくださいます。神様が与えて下さる真の平安を手に入れて喜びの中で生きる皆さんとなりますように。
すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。(マタイによる福音書11:28)
6.最後に
恐れや不安がすべて害悪になるとは限りません。恐れや不安があることによって、危険を予防するようになり安全が守られます。罪の結果を恐れることによって、神様を敬い正しい生活をするようになります。不安を克服するために、人は努力し進歩します。恐れや不安が近づいてきたら、祈りなさいという神様からのシグナルです。恐れや不安は神様に出会う機会となり、祈る機会となるので勝利の人生へと導かれるのです。
神様は私たちに、いかなる逆境の中でも、誰にも奪われない平安を与えることができるお方です。このイエス・キリストが語られた御言葉が、みなさん一人一人に恵みの御言葉となることを心から願います。「わたしは平安をあなたがたに残して行く。わたしの平安をあなたがたに与える。わたしが与えるのは、世が与えるようなものとは異なる。あなたがたは心を騒がせるな、またおじけるな。」(ヨハネによる福音書14:27)
以上