人は何かを信じて生きています。銀行を信じているから大切なお金を銀行に預け、郵便局を信じているから郵便を送り、学校を信じているから子どもを学校に行かせ、医者を信じているから医者に命をゆだねることができます。それでは、死んだらどうなるのか、天国や地獄の存在、などといった問題について、あなたは何をどのように信じているでしょうか。こういった問題は、人間的な信仰だけでは解決することはできず、神を信じる信仰によってのみ答えと確信を得ることができます。けれども、神を信じる信仰は、一生懸命努力しても「信じます」と100回叫んだとしても持つことはできません。どのようにすれば神を信じる信仰を持つことができるでしょうか。

御言葉どおりに信じて行動する
ルカによる福音書5章に、ペテロが初めてイエスに出会う場面が記されています。ペテロや他の漁師たちは夜通し働いても魚が獲れなかったので、舟からおりて網を洗っていました。そこにイエスが近づいてこられ「沖へこぎ出し、網をおろして漁をしてみなさい」と言われたのです。ペテロは漁師としての知識と経験を総動員しても一匹も魚がとれなかった。そこにいきなりあらわれて沖へ出て網をおろせと言われた。みなさんがペテロの立場ならそのとおりにするでしょうか。ペテロは「先生、わたしたちは夜通し働きましたが、何も取れませんでした。しかし、お言葉ですから、網をおろしてみましょう」とイエスの言葉どおりに行動したのです。すると、船が沈みそうになるほど魚が獲れました。

このように信仰は、御言葉どおりに信じ、御言葉どおりに行動するときに生まれます。御言葉どおりに信じることは、御言葉に自分の心を接ぎ木(つぎき)するイメージです。たとえば、医学的には回復できない病気にかかった人が、聖書を読んでいるときにわたしは主であって、あなたをいやすものである」(出エジプト記15:26)の箇所に出会い、心の中に私の病は神様にいやされて健康が回復するという思いが生まれたなら、それは人間的な信仰ではなく神様の信仰です。その人の心が御言葉に接ぎ木された、つまり御言葉が彼の心に深く結びつけられたのです。そのようにするときに聖霊が私たちの心の内に信仰を生まれさせ、育ててくださるのです。御言葉に接ぎ木されれば、今まで理性では信じられなかったことが信じられるようになります。したがって、信仰は聞くことによるのであり、聞くことはキリストの言葉から来るのである。(ローマ人への手紙10:17)と書いてある通りです。

御言葉に接ぎ木されれば、私たちは神様のようにものを考え、神様のように愛と希望を持って生きられるようになります。そして、御言葉どおりにそのまま行動すれば、それが私たちの体験となって信仰がさらに育っていきます。御言葉をたくさん読み聞くことも大切ですが、それだけではなく、その御言葉を御言葉どおりに信じ、御言葉どおりに行動するとき、信仰が育つことをどうか忘れないでください。

信念と信仰の違いについて
信念と信仰はまったく異なります。聖書の御言葉に基礎を置くのが信仰です。強い信念がある人は、ある事業には成功するかもしれませんが、その成功は永遠に続くことはありません。しかし、聖書の御言葉は永遠に滅びることがないという約束と保証があるのです。
人はみな草のごとく、その栄華はみな草の花に似ている。草は枯れ、花は散る。しかし、主の言葉は、とこしえに残る。(ペテロの第1の手紙1:24-25)

御言葉を信じて行動すると、いつか成し遂げられてしまうのです。その反対に、祈りをいくらたくさんしても、また神秘的な体験をしても、御言葉に根を下ろさない信仰は水の泡のように一瞬にして消え去ります。御言葉を単に目や耳から入ってくる情報としてとらえるだけで、御言葉が信仰によって結びつけられないなら、その人にとって無益なものとなってしまうのです。 
彼らと同じく、わたしたちにも福音が伝えられているのである。しかし、その聞いた御言葉は、彼らには無益であった。それが、聞いた者たちに、信仰によって結びつけられなかったからである。(へブル人への手紙4:2) 

御言葉は小麦粉のようです。小麦粉は水でこねて火で焼いてはじめておいしく食べられるように、御言葉の小麦粉は信仰の水でこねて聖霊の火で焼いてこそ命の糧となり、生活の力となり、希望となり、救いとなり、益となるのです。

御言葉の持つ力について
神様の御言葉は、生きていて力があります。
神の言葉は生きていて、力があり、もろ刃のつるぎよりも鋭くて、精神と霊魂と、関節と骨髄とを切り離すまでに刺しとおして、心の思いと志とを見分けることができる。(へブル人への手紙4:12)

また御言葉には、人を新しく生まれかわらせる力があります。
あなたがたが新たに生れたのは、朽ちる種からではなく、朽ちない種から、すなわち、神の変ることのない生ける御言葉によったのである。(第1ペテロの第一の手紙1:23)

御言葉には、病気を癒やす力があります。
彼らはその悩みのうちに主に呼ばわったので、主は彼らをその悩みから救い、そのみ言葉をつかわして、彼らをいやし、彼らを滅びから助け出された。(詩編107:19-20)

これらの力が御言葉にある理由は、初めにことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。(ヨハネによる福音書1:1)と記されているように、御言葉は全知全能なる神様だからです。

祈りがこたえられる秘訣
祈りが答えられる重要な秘訣は、祈りをする前の準備にあります。聖書の中から祈りの課題に必要な御言葉を探し出して、その御言葉を自分への約束として心の中に用意するのです。 そして、その御言葉を握り締めて祈ります。つまり、その御言葉を神様に差し出しながら「神様、あなたはこのように約束したではありませんか、だから答えてください」と祈るのです。愛なる神様の御言葉に支配され、御言葉に導かれ、御言葉に従う人たちは、何を祈っても求めた通りに神様が答えてくださいます。

あなたがたがわたしにつながっており、わたしの言葉があなたがたにとどまっているならば、なんでも望むものを求めるがよい。そうすれば、与えられるであろう。 (ヨハネによる福音書15:7)

みなさんと私、この教会が、御言葉充満・聖霊充満となるよう心から願います。御言葉に導かれ、御言葉がいつも心の中にあり、御言葉に支配されるなら、この世の荒波に揺れ動かされることはありません。くれぐれも申し上げたいことは、御言葉を握り締めて祈ってください。御言葉の力を信じて祈ってください。神様の御言葉を真剣に聞き、学び、従順し、実践して、大きな神の恵みと祝福を受け取れますように。

以上