私は今年70歳になりますが、夜に車を運転することが少し苦手に思うようになりました。対向車のライトがまぶし過ぎて、交差点を進むのが少し怖いなあと感じるのです。神様、これちょっと困りますと言って「モーセのように、目はかすまず気力は衰えないようにしてください」と祈りました。聖書にそう書いてあるから、私はそのとおりに神様の約束を信じます、この身にそれが起きますようにと祈ったのです。その後、ある夜に車を運転すると、目もかすまずライトもまぶしくなくなりました。そのことが起きて一週間たちますが、怖いという感覚が無くなってスムーズに抵抗感なく運転できています。

モーセは死んだ時、百二十歳であったが、目はかすまず、気力は衰えていなかった (申命記34:7)

このモーセを通して、神がイスラエルの民に与えた「命令」が書かれているのが旧約聖書「レビ記」です。レビ記の最後は、次の言葉で締めくくられています。

以上は、主がシナイ山で、イスラエルの子らに向けてモーセに命じられた命令である(レビ記27:34)

レビ記には、祭司が行う儀式や、生活規律など多種多様な命令が書かれています。30節以下には十分の一のささげものについて記されています。

地の十分の一は地の産物であれ、木の実であれ、すべて主のものであって、主に聖なる物である。 もし人がその十分の一をあがなおうとする時は、それにその五分の一を加えなければならない。 牛または羊の十分の一については、すべて牧者のつえの下を十番目に通るものは、主に聖なる物である。 その良い悪いを問うてはならない。またそれを取り換えてはならない。もし取り換えたならば、それと、その取り換えたものとは、共に聖なる物となるであろう。それをあがなうことはできない。

イスラエルの民は数百年間もエジプトで奴隷として命令を受ける生活をしてきたので、エジプトを脱出して自由が与えられたと喜んでいたのに、まだ我々は命令を受け続けないといけないのか、好きなようにできないのかと多くの者たちが反発したことでしょう。このように上からの命令を嫌だと感じるのは、彼らだけではありません。今日、聖書を読む人、教会に通い信仰生活する人の中にも、命令されることに反発する方がおそらくいると思います。

ある聖書勉強会に8名のクリスチャンが参加を申し込みました。ところが勉強会の初日、3人が遅刻し1人が無断欠席しました。そこで、勉強会の講師は規則を定めました。遅刻1回3000円、欠席1万円を支払うよう命じたのです。その結果、全員が遅刻することなく出席するようになったそうです。自由というものは得るのも難しいけれども、正しく用いるのはもっと難しい。自由は正しく用いないと、放縦と腐敗に身を落とす危険があるのです。

ですから、神様の命令に対する肯定的な反応が必要です。そもそもイスラエルの民がエジプトで奴隷として受けた命令と、神様が与えて下さった命令は根本的に異なります。エジプトの命令は民への抑圧のためでしたが、神様からの命令はイスラエルの民を愛するがゆえ彼らを幸せにするために命じられたものなのです。

わたしがきょうあなたに命じる主の命令と定めとを守って、さいわいを得ることである。(申命記10:13)

さいわいな人生を生きる人は、神様の命令である聖書の御言葉を喜び、いつも思い、口ずさみます。そのような人は何をしても栄えると聖書は約束しています。

悪しき者のはかりごとに歩まず、罪びとの道に立たず、あざける者の座にすわらぬ人はさいわいである。このような人は主のおきてをよろこび、昼も夜もそのおきてを思う。このような人は流れのほとりに植えられた木の時が来ると実を結び、その葉もしぼまないように、そのなすところは皆栄える。(詩編1:1-3)

ですから、命令は重荷ではなく神様の愛のしるしです。何々しなさいという御言葉は、神様の愛の告白です。なのに、多くの人は誤解しています。聖書を重荷と思っているなら、神様の愛に気づかれるようになることを願います。

命令をくださる神様は、私たちを罪と死とサタンの手から救われた救い主であることを忘れないようにしましょう。私たちを幸せにするために神は命じられるのです。愛があふれる命令です。外見は固く厳格ですが、中身はひとり子さえ惜しまずに与えて下さった神様の愛です。そのような愛による命令は、この世に存在しません。神様だけがなされる本当に不思議な命令なのです。

今度は、私たちの方から神様を愛する番です。その愛に気づいて、み心に従って生きる番です。神様の命令に「アーメン(そのとおりです)」と言うことが、私たちから神様への愛の告白です。イエス様は十字架につけられる前夜、汗が血のしたたりになるまで苦しみもだえて「もしできることでしたらどうか、この杯をわたしから過ぎ去らせてください」と父なる神に祈られました。ですが、「しかし、わたしの思いのままにではなく、みこころのままになさって下さい」と祈られ、立ち上がって十字架に向かわれました。これが、この世で最も偉大なアーメンです。

私たちも、神様がくださった命令たちを、喜びをもってアーメンと応答することで神様を愛することができますように。そして、その愛の命令の中にある幸福をみなさんが享受されますように心から願います。

以上