2025年の当教会の標語は「ベタニヤよ、上って行きなさい」です。旧約聖書の「士師記」の以下の箇所に基づいて作りました。
ヨシュアが死んだ後、イスラエルの人々は主に問うて言った、「わたしたちのうち、だれが先に攻め上って、カナンびとと戦いましょうか」。主は言われた、「ユダが上るべきである。わたしはこの国を彼の手にわたした」(士師記1:1-2)
イスラエルの民は、400年間エジプトで奴隷として生活しましたが、指導者モーセに率いられて出エジプトを果たし、神が約束された豊穣の地であるカナンをめざしました。彼らを導いたのはモーセ、アロン、ヨシュアといった神が立てた偉大な指導者たちでした。
ヨシュアは、モーセの後継者として訓練され、「わたしはあなたに命じたではないか。強く、また雄々しくあれ。あなたがどこへ行くにも、あなたの神、主が共におられるゆえ、恐れてはならない、おののいてはならない」(ヨシュア記1:9)と神から御言葉をいただき、エリコとカナンの一部を占領するに至りました。
そのヨシュアが死んだ時、悲しみに暮れるイスラエルの民たちには大きな課題が残されていました。いまだカナン全土を占領していなかったのです。イスラエルの12部族のうち、土地を分配されたのは5部族しかなく、残りの7部族は地図上で分配されたにすぎませんでした。彼らはヨシュアの後を継いで課題を解決しなければなりませんでした。
問題は、誰が先に敵陣に向かって上って行くべきか、ということでした。彼らは神様にたずねました。
ヨシュアが死んだ後、イスラエルの人々は主に問うて言った、「わたしたちのうち、だれが先に攻め上って、カナンびとと戦いましょうか」(士師記1:1)
今日の私たちの状況も同じです。交野ベタニヤ教会にも、また各家庭・各個人にも、今年解決すべき課題があります。多くの人は、頼っている父や母、夫や妻が、できるだけ長生きしてそばで守ってほしいと願います。しかし、私たちは彼らの後を継がなければなりません。そして、誰が先に上って行くかを決めなければなりません。
イスラエルの民たちの問いに対し、神様はユダ族に先に立って上ることを命じました。
主は言われた、「ユダが上るべきである。わたしはこの国を彼の手にわたした」(士師記1:2)
ユダ族に向けられたこの御言葉を、ベタニヤ教会と各個人・各家庭に与えられた御言葉として受け止めていただきたいと心から思います。ベタニヤは上るべきであります。2025年を私たちが上って行くべきです。
しかし残念なことに、多くの人は先に立とうとしません。先に立つのは危険であり疲れます。だから誰かが行った後を楽に行くことを願い、それを待つのです。私たちに必要なのは、信仰と勇気です。先に行く人を先駆者といい、真のリーダーは先駆者であるべきです。ユダ族は何も言わず、御言葉に従って自ら進み出ました。
イエス・キリストは十字架につけられるために、自ら立って進んで行かれました。そして、罪と死とサタンに対して永遠の勝利を得ました。2025年、あなたが先に立って上ることを願います。他の人を見ないで、先に正しい道を上って行きましょう。なぜ私ですか?と聞かないで、神様が先に上りなさいと言われたら、それは私への期待であると受け止めましょう。神様は先に上る者に報いてくださいます。
最後に、覚えておくべきことがあります。仲間と一緒に行くことです。
ユダはその兄弟シメオンに言った、「わたしと一緒に、わたしに割り当てられた領地へ上って行って、カナンびとと戦ってください。そうすればわたしもあなたと一緒に、あなたに割り当てられた領地へ行きましょう」。そこでシメオンは彼と一緒に行った。(士師記1:3)
ユダとシメオンが一緒に上って行った結果、勝利することができ、彼らは喜びを分かち合いました。一緒に手を取って上って行くとき、神様は喜びを与えて下さいます。2025年、私たちも、兄弟姉妹が、家族が、共に手と手をとって歩むステキな人生を過ごされますように、主の名によって祝福します。
教会でもっとも先に始めるべき者は牧師だと思います。そして皆さんも、牧師と一緒にしてくださることをお願いします。「一緒に祈ります」「一緒にさせてください」「私も参加させてください」こういった優しい言葉が、どれだけ力になり支えになることでしょうか。教会でも家庭でも、ユダ部族のような役割を果たしましょう。挑戦意識を持って先に上って行かれますように心から願います。「私が先にします」「私にさせてください」と、みなさんが愛を分け与えることのできる豊かな人生を歩まれますように心から願います。神様はそのような人と共にいて助けてくださり、勝利の喜び、実りある人生を歩ませてくださいます。上っていく道に、今年も神様の豊かな恵みがありますよう心からお祈りいたします。
以上