本日は、交野ベタニヤ教会の創立42周年記念礼拝です。当教会は、大西コマチ牧師のもとで、私市の小さい部屋からはじまりました。今日、42周年を迎えることができたことを心から感謝いたします。
教会は、イエス・キリストを救い主として告白した人々が集まるところであり、神様は教会を通して、私たちの魂が恵まれ、日常の全てが恵まれ、健やかに生きる恵みを与えてくださいます。「そこでイエスは彼らに言われた、『それでは、あなたがたはわたしをだれと言うか』。 シモン・ペテロが答えて言った、『あなたこそ、生ける神の子キリストです』。 すると、イエスは彼にむかって言われた、『バルヨナ・シモン、あなたはさいわいである。あなたにこの事をあらわしたのは、血肉ではなく、天にいますわたしの父である。 そこで、わたしもあなたに言う。あなたはペテロである。そして、わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てよう。黄泉の力もそれに打ち勝つことはない。』」 (マタイによる福音書16:15-18)
1.教会のかしらはキリスト
聖書は、キリストと教会の関係を「かしらとからだ」の関係であると説明しています。教会とは「キリストをかしらとするキリストのからだ」なのです。「そして、万物をキリストの足の下に従わせ、彼を万物の上にかしらとして教会に与えられた。 この教会はキリストのからだであって、すべてのものを、すべてのもののうちに満たしているかたが、満ちみちているものに、ほかならない。」(エペソ人への手紙1:22-23)
私たち信徒は、イエスをかしらとして一つとなり、お互いに協力し、いたわりあい、霊的に日々成長するよう努めなければなりません。「こうして、私たちはもはや子どもではなく、人の悪巧みや人をあざむく悪賢い策略から出た、どんな教えの風にも、吹き回されたり、もてあそばれたりすることがなく、 むしろ、愛をもって真理を語り、あらゆる点において、かしらなるキリストに向かって成長するのです。キリストによって、からだ全体は、あらゆる節々の支えとして組み合わされ、つなぎ合わされ、それぞれの部分がその分に応じて働くことにより成長して、愛のうちに建てられることになります。」(エペソ人への手紙4:14-16)
2.教会は祈りの家
イエスは、十字架の苦難を受ける前、宮に入り、そこで悪徳な商売をしていた商売人たちを追い出しました。その時、イエスはこう言われました。「『わたしの家は、祈の家ととなえらるべきである』と書いてある。それだのに、あなたがたはそれを強盗の巣にしている」。」(マタイによる福音書21:13)
祈りをおろそかにすると霊的な力が失われ、ひっきりなしに悪しきものが攻撃してきます。私たちは日々祈らなければなりません。祈る者には、困難に打ち勝つ神の力が与えられます。苦しい時こそ祈りましょう。主は生きておられます。たくさんの祈りをまけば、素晴らしい収穫を刈り取ることができます。「何事も思い煩ってはならない。ただ、事ごとに、感謝をもって祈と願いとをささげ、あなたがたの求めるところを神に申し上げるがよい。そうすれば、人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るであろう。」(ピリピ人への手紙4:6-7)
いかなる問題の中にあっても、神を信頼すること、神様との正しい関係を持つことが大切です。そのためには祈りが必要です。あなたが真剣に祈れば、神様も真剣に答えてくださいます。教会は祈りですべてを解決する場所、祈りの家なので、家で祈るのも大事ですが、教会に足を運んで兄弟姉妹と共に祈ることもとても大切です。「また、よく言っておく。もしあなたがたのうちのふたりが、どんな願い事についても地上で心を合わせるなら、天にいますわたしの父はそれをかなえて下さるであろう。 ふたりまたは三人が、わたしの名によって集まっている所には、わたしもその中にいるのである」。(マタイによる福音書18:19-20)
3.神が守られる教会
神は、分裂と争いを喜ばれません。私たちがイエス・キリストをかしらとして一つになることを願っておられます。しかし、悪しき敵なる悪魔は、教会がリバイバルすることを嫌がり、どうにかして教会の中が混乱するよう問題を起こそうとします。また、家庭や社会にも、分裂と争いをもたらそうと巧妙に働きます。ウクライナやガザ地区の戦争の背後にあるのは悪魔の働きです。
私たちは悪の力に対抗しなければなりません。教会が一つになって祈るとき、いかなる暗闇の力も、私たちの教会を、また家庭を揺さぶることはできません。そして神に従い、隣人に仕えて愛を実践するとき、神様は教会を守り、大きな恵みを教会に注いでくださいます。それだけでなく家庭に、子どもに、そして孫にまで恵みを注いでくださいます。「ですから、神に従い、悪魔に対抗しなさい。そうすれば、悪魔はあなたがたから逃げ去ります。」(ヤコブの手紙4:7)
教会は、よみの力が勝つことのできない強力な力を持っているところであり、神の御国の民を預けられたところであります。どんな力も、イエスがかしらになられた教会を押し倒すことはできないのです。
以上