本日の聖書箇所「テモテへの第二の手紙」は、パウロが書いた最後の手紙です。彼はこの手紙を獄中で書き、テモテにあてて送った後、ローマで捕らえられ斬首されて殉教しました。人間の人生を1年の流れに当てはめるとすれば、12月は最後の月ですから、パウロは11月に最後の手紙を書き、12月に殉教したと考えることができます。獄中で近づいて来る死を見つめながら書いたこの手紙を読むと、人生の11月末から12月に向かって歩み出したパウロの心を感じとることができます。
私たちの心は、いつも11月末に立っていなければなりません。神様がいつ私たちを天に呼ばれるか知ることはできないので、私たちは常に12月の直前すなわち11月末にいると言えるでしょう。もしあなたが「私の人生はまだ3月頃だ。たくさん時間が残っている」と思うなら慢心するのではないでしょうか。しかし「もう11月末だ、人生はあと少ししか残ってない」と思って生きるなら、時間を大切にし周囲の人々を愛しながら、最後の熱情を発するでしょう。これがまさに目を覚ましているキリスト者の姿であります。
「テモテへの第二の手紙」の最終章である第4章を読むと、ちらかっている家の中を整理しているような感覚になります。
この箇所でパウロは、第一に「人間関係」を整理しています。私たちは時々人生を振り返って、もつれてからまっている人間関係を整理するべきだと思います。
「あなたは、何とかして早く私のところに来てください。
デマスは今の世を愛し、私を見捨ててテサロニケに行ってしまいました。
また、クレスケンスはガラテヤに、テトスはダルマティアに行きました。
ルカだけが私とともにいます。
マルコを伴って、一緒に来てください。彼は私の務めのために役に立つからです。
私はティキコをエペソに遣わしました。
銅細工人のアレクサンドロが私をひどく苦しめました。その行いに応じて、主が彼に報いられます。
あなたも彼を警戒しなさい。彼は私たちのことばに激しく逆らったからです。
私の最初の弁明の際、だれも私を支持してくれず、みな私を見捨ててしまいました。どうか、その責任を彼らが負わせられることがありませんように。」
(テモテへの第二の手紙4:9-13,15-16)
デマスという人物は、パウロの第一次伝道旅行に同行しましたが、第二次伝道旅行でパウロが収監されたときに、今の世を愛し、私(パウロ)を見捨ててテサロニケに行ってしまいました。
クレスケンスとテトスについては、福音を伝道するためにパウロはあえて彼らをガラテヤとダルマティア送り出しました。
ルカは、パウロは二度投獄されましたが二度ともそばを離れずにパウロのもとにいました。ルカは変わることのない真実な心を持っていた方であったと見えます。
テモテに対しては「何とかして早く私のところに来てください」と書いています。たぶん彼はパウロの手紙を受け取って急いでやって来たでしょう。
また、テモテが連れて来るマルコは、当初は心が弱くパウロと一緒に伝道旅行に出かけたものの、途中でしんどくなりパウロを置いて帰ってしまいました。ところがのちにはパウロの務めのために役に立つ者となり、偉大な信仰の働き人として神に強められ成熟していきます。
このように、行くべき人は行き、残るべき人は残り、来るべき人はパウロのもとに来ました。みなさんは、今どのような人間関係の中にいますか。親子の関係、友人との関係、愛する人との関係はどうでしょうか。私たちにも離れた人、残った人、来る人がいます。いろんな人がいろんな原因で自分から離れたし、今後離れることもあるでしょう。とても親しかった友人があることで絶交し離れてしまうことも人生にはあります。親子の縁を切る人も世の中には少なからずおられます。その中には再び帰ってくる人もいるし、そうでない人もいるでしょう。
重要なことは、人間関係の中に自由と愛が必要だということ。人間関係の整理が必要な理由は「感情消耗」から抜け出すためです。離れた人のために悲しんだり、近くに残っている人に対して怒りを感じているなら、これ以上、感情の渦巻きの中で苦しむべきではありません。心につもっている憎しみと恨みの感情を洗い流すべきです。そして、整理された心で神様が与えて下さった人生を感謝と喜びと希望をもって生きて行かなければなりません。
銅細工人のアレクサンドロはパウロをひどく苦しめましたが、「その行いに応じて、主が彼に報いられます。」と、パウロは憎しみを捨てて神様にすべてゆだねました。いじめられたり、理由なくいつも敵対してきたり、牙をむいて噛みついてくる、そのような扱いを受けて憎しみや怒りの感情を持ったときには、パウロがしたように、主が必ず報いてくださることを信じて主にゆだねることによって感情の消耗をしないようにしてみてはいかがでしょうか。
また、だれもパウロを支持してくれず、みなパウロを見捨てたことに対して、彼は「どうか、その責任を彼らが負わせられることがありませんように」と、パウロは彼らを恨みませんでした。私たちも人間関係に対して無益な未練を持つことがないようにするべきです。神様は人をつかわしてくださることもあるし、連れ去って行くこともなされるのです。私たちは人を助け人のために祈るべきですが、未練を持つ必要はありません。特に人を助けた経験のある方は、未練をおぼえたことがあったかもしれません。あんなに親切にしたのに。。そんな相手が自分から離れていったとき、私たちは未練を持つことがありますが、未練は持ち続けると憎しみや恨みにつながります。未練を持たず送り出すべきです。
そして、そばに残っている人を愛し、互いに信じ、頼り、支えるようにしましょう。今あなたのそばにいる人を大切にしてください。親が死んだのちに後悔しないためにも、そばにいる時に大切にしましょう。そばにいる人たちと愛をもって協力しあい、互いに分かち合い、主が与えて下さった人生を共有されるみなさんとなられますよう心から願います。それが神様に喜ばれる人生であります。
第二に、パウロは「物」の整理をしています。
あなたが来るとき、トロアスでカルポのところに置いてきた外套を持って来てください。また書物、特に羊皮紙の物を持って来てください。(同4:13)
パウロが自分の持ち物について言及した記述はほとんど無いのでここは貴重な箇所です。私たちは物がなくては生きられません。ですから必要な物を持つことは罪ではありません。しかし、物に対して貪欲になってはいけません。パウロは冬になる前に服を持ってきてほしいと言っただけで金銀財宝を持ってくるようにとは決して言いませんでした。節制された生活、必要な品だけをこぎれいに整理しているパウロの生き方をうかがい知れます。私たちもパウロのように物に対する貪欲を捨てて、身軽に生きるべきです。
第三に、パウロは自分の心の中を整理しています。人生の12月を歩みはじめたパウロの心の中に最後に残ったのは、人でも物でもなく神様おひとりだけでした。
しかし、主は私とともに立ち、私に力を与えてくださいました。それは、私を通してみことばが余すところなく宣べ伝えられ、すべての国の人々がみことばを聞くようになるためでした。こうして私は獅子の口から救い出されたのです。(同4:17)
人生の最後の瞬間に心を満たしてくださるのは主なる神だけです。主は私たちと「ともに立ち、力を与えて」くださいます。
パウロの最後の目的地はローマでもエルサレムでもなく天国でした。
主は私を、どんな悪しきわざからも救い出し、無事、天にある御国に入れてくださいます。主に栄光が世々限りなくありますように。アーメン。(同4:18)
みなさん、パウロが見つめる未来は恐ろしい未来ではなく、希望の未来でした。その希望とは天国の希望でした。彼は12月の向こうの1月まで見ていた、復活の春まで見すえていたのです。人生の終わりを見つめつつも、終わりのさらに向こう側にある新しい始まりを待ち望む心。これが11月から12月を歩んで行く聖徒の心であります。
以上