「類は友を呼ぶ」という諺があるように、気の合う者は自然に寄り集まります。そのような場では、楽しく自由に過ごすことができます。逆に、考え方や文化あるいは社会的な地位がまったく異なる人たちと同じ場にいると、ある種の不自由さを感じます。これを「不自由な同居」と呼ぶなら、イエス・キリストは「類は友を呼ぶ」生き方を打ちこわし、「不自由な同居」を願っておられるお方です。何故でしょうか。
イエスは、私たちとあまりにも異なる方です。イエスは全能なる神であり聖なるお方ですが、私たちは被造物であり、けがれた罪びとです。あまりにも違いすぎます。ペテロが初めてイエスに出会った時に、「主よ、わたしから離れてください。わたしは罪深い者です」(ルカによる福音書5:8)と言ったように、とてもイエスとおなじ場所にいられないほどです。ところが、神の子であるイエスが不自由さを嫌がることなく、むしろ自ら進んで、罪深い私たちと共にいてくださる。これが福音であります。すなわち「不自由な同居」こそ福音の核心なのです。
あるときイエスは、金銭を好むパリサイ人たちに向けて、以下の話を語られました。
「ある金持がいた。彼は紫の衣や細布を着て、毎日ぜいたくに遊び暮していた。ところが、ラザロという貧しい人が全身でき物でおおわれて、この金持の玄関の前にすわり、その食卓から落ちるもので飢えをしのごうと望んでいた。その上、犬がきて彼のでき物をなめていた。
この貧しい人がついに死に、御使たちに連れられてアブラハムのふところに送られた。金持も死んで葬られた。そして黄泉にいて苦しみながら、目をあげると、アブラハムとそのふところにいるラザロとが、はるかに見えた。
そこで声をあげて言った、『父、アブラハムよ、わたしをあわれんでください。ラザロをおつかわしになって、その指先を水でぬらし、わたしの舌を冷やさせてください。わたしはこの火炎の中で苦しみもだえています』。
※「アブラハムのふところ」とは天国(パラダイス)であり、黄泉(よみ)とは苦しみの場所。どちらも肉体が死んだ後、その人の魂が行くところです。
アブラハムが言った、『子よ、思い出すがよい。あなたは生前よいものを受け、ラザロの方は悪いものを受けた。しかし今ここでは、彼は慰められ、あなたは苦しみもだえている。そればかりか、わたしたちとあなたがたとの間には大きな淵がおいてあって、こちらからあなたがたの方へ渡ろうと思ってもできないし、そちらからわたしたちの方へ越えて来ることもできない』。
そこで金持が言った、『父よ、ではお願いします。わたしの父の家へラザロをつかわしてください。わたしに五人の兄弟がいますので、こんな苦しい所へ来ることがないように、彼らに警告していただきたいのです』。
アブラハムは言った、『彼らにはモーセと預言者とがある。それに聞くがよかろう』。
※「モーセと預言者」とは旧約聖書のことです。
金持が言った、『いえいえ、父アブラハムよ、もし死人の中からだれかが兄弟たちのところへ行ってくれましたら、彼らは悔い改めるでしょう』。
アブラハムは言った、『もし彼らがモーセと預言者とに耳を傾けないなら、死人の中からよみがえってくる者があっても、彼らはその勧めを聞き入れはしないであろう』。」(マタイによる福音書16:19-31)
人はいつか死ぬという点において差別はありません。金があっても無くても、肉体は必ず寿命を終えます。ラザロは、この世においてはとても悲惨な境遇にあり、耐えがたい屈辱を受けました。自分ではどうすることもできない状況の中にありましたが、彼には信仰がありました。ラザロという名は「神はわが助け」という意味であり、彼には神への信仰があったので天国に入ることができました。一方、金持ちにはそのような信仰はありませんでした。
この話の中で注目すべき点は、金持ちとラザロが近くに置かれたことです。イエスは、身分も信仰もまったく異なる二人を、金持ちの家の玄関前で「不自由な同居」をさせたのです。この金持ちは、玄関を通るたびにラザロを見ながらしかめ面をしたでありましょう。私たちも、この金持ちと同じように、私をわずらわせ、私の心を苦しくするラザロが、ある日突然、私の「玄関の前」にあらわれて「不自由な同居」人となることがあります。
もし、あなたが自分の人生に現れた「ラザロ」を、なんとか切り離すことができないだろうかと考えるなら、あるいは、教会の中に「不自由な同居」人がいて、あれこれ考えた末に教会から離れたいと思っているとするなら、これは神様があなたに与えた環境であり、あなたが果たすべき使命であることを悟るべきだと思います。あなたの家庭にいるラザロをいたわり、あなたの職場にいるラザロを支え、世話をするみなさんとなりますように。
世界に数十億の人間がいて、それぞれ置かれた環境は異なります。金持ちもいるしラザロもいます。また、今は金持ちでも後にラザロになる人もいれば、その逆の人もいます。大切なことは、今、自分がどんな環境にいるとしても、いつも主イエスを見上げ、信仰によって主の御心に応答することです。今あなたが金持ちの立場なら、ラザロをいたわり、愛し、分け与え、支え、認め、包み、激励してください。また、今あなたが苦しんでいるなら、ラザロのように痛みに耐えて、耐えて、耐えて、そして主を見上げて、召される最期の瞬間までご自身の命を守ってください。あなたの信仰が天国に導く命の道になります。
人生、何があるか分かりません。しかし、どんなことが起きても、私は主を見上げ、忍耐して、天の御国に向かって歩いていきます。
「不自由な同居」を、主が支えてくださいますように。そして、主があなたに力を与え、信仰の力、愛の力を注いでくださるようにと心からお祈りいたします。
以上