聖書の中で最もうらやましいと思われる人を選ぶなら、たぶんソロモンでしょう。彼はイスラエル王国の第3代の王で、父ダビデの事業を受け継ぎ周辺諸国との交易で巨富を築きました。その繁栄ぶりは「ソロモンの栄華」といわれ、イスラエルの最盛期を築いたとされています。またソロモンは最高の知恵が授けられました。知恵文学といわれる「箴言」や「伝道の書」はソロモンが書いたものです。

 ところがイエス・キリストは、ソロモンの栄華の限界を語られました。「なぜ、着物のことで思いわずらうのか。野の花がどうして育っているか、考えて見るがよい。働きもせず、紡ぎもしない。しかし、あなたがたに言うが、栄華をきわめた時のソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。」(マタイによる福音書) この世の贅を極めた衣服であっても、神が創造された大自然には到底及びません。

 ソロモン自身も、こう言っています。主が家を建てられるのでなければ、建てる者の勤労はむなしい。主が町を守られるのでなければ、守る者のさめているのはむなしい。主が家を建てられるのでなければ、建てる者の勤労はむなしい。」(詩編127:1) どのような知者の知恵も、神の知恵と比較することはできません。ソロモンの力と権威と豊かさは人間の中ではずば抜けたものでしたが、神の力と権威と豊かさとは比較になりません。ソロモンは今、私たちに語っています。成功するために自分なりに努力し、朝早く起き、夜遅くに寝て、苦労して収入を得たとしても、神様抜きの努力の結果はむなしいものになる。しかし、神は私たちが眠っている間にも、必要の全てを備えられると。あなたがたが早く起き、おそく休み、辛苦のかてを食べることは、むなしいことである。主はその愛する者に、眠っている時にも、なくてならぬものを与えられるからである。」(詩編127:2)

 この聖書個所は、新改訳聖書ではこのように訳されています。「あなたがたが早く起き、遅く休み、労苦の糧を食べたとしても、それはむなしい。実に、主は愛する者に眠りを与えてくださる。」 眠りは本当に重要です。子どもは眠っている間にホルモンが分泌されることによって成長します。大人もぐっすり眠る人は老化が遅く、睡眠が足りない人は突然死する確率が高いと言われています。神を心から敬い信頼する人は、思いわずらいを神にゆだねるので、悩みを一人で抱えて苦しみません。それで平安が与えられ、ぐっすり眠ることができます。それは赤ちゃんが、すべてを母親にゆだねてぐっすり眠ることと同じです。

 時々、礼拝中に居眠りする方がおられます。昔はとても気になりましたが、今はまったく気になりません。一日一日、一生懸命生きておられるんだなあと思えるようになりました。礼拝堂が我が家のリビングのように心がほっとする場所だから眠れるのだろうとも思います。眠くなったら眠っていいのです。イビキさえかかなければ大丈夫です。家で眠れなかったのに礼拝でぐっすり眠れたなら、それも祝福です。真の幸せはソロモンのように栄華を極めることではなく、すべて神にゆだね神の恵みによって生きることであり、そうすることで心に平安が与えられ熟睡できること、これに尽きるのではないでしょうか。

 私も過去においては神をうらみ、嘆き、不平をつぶやき、眠れぬ夜をすごした経験があります。神様、なぜ私をここに連れてきたのですか、いい誘いもあったし、ここに来る前にいた教会は何千人の教会、今は十万人の教会となっているのに、なぜ私をここに連れてきて、家族や兄弟に会うこともできず独りぼっちでいなければならないのですか。。。 しかし、主はこう言われました。そのように思ってはなりません。あなたがそのように考えるからだめなのです。すべての重荷、あなたの人生そのものを私にゆだねなさい。私がやります。あなたは、ただついてくればよいのです。そのような思いを主からいただきました。私の心は自由になりました。いま神様は時にかなって働きをなされる方であると信じています。つらく苦しいことがあっても主の御手にゆだねればよいのです。私は残りの人生を主にゆだねます。この教会も、自分の余生も主にゆだねます。主は、主に愛されている交野ベタニヤ教会を、必ず導いてくださるでしょう。

 神が愛する者に与えてくださる最後の恵みは、死の恵みです。主は疲れる人生を生きた私たちに、最後に眠りを与えて下さいます。しかし、死は永遠の滅びではなく、魂はイエス・キリストのおられる天に引き上げられます。そして、時が来れば私たちもキリストが復活されたように復活します。生きている間も、みなさん一人一人が、キリストの内にあって生涯の最後の眠りの日までよく眠ることができますように。朝、目を覚まして、ああ~よく眠れたと言いながら背筋を伸ばし、明るくすっきりした気持ちで起きることができる毎日となりますように。

以上