「継承された祝福」
創世記21:22-24

赤ちゃんが生まれると、この子は誰に似たのかなあと思ったり家族で言い合ったりします。反対に、自分に似てほしくない、自分のように生きるべきではないと思う親もいるでしょう。我が子の幸せを願っているからこそそう思うのです。私たちクリスチャンが子や孫に願うのは、自分が神様から祝福を受けたように、親に似て神様から祝福を受ける者になってほしいということではないでしょうか。今日は、親が受けた神の祝福を、どうすれば子や孫に継承できるかについて、お話したいと思います。

祝福の継承について大きなヒントになるのは、次の二つの聖書箇所です。

そのころアビメレクとその軍勢の長ピコルアブラハムに言った、「あなたが何事をなさっても、神はあなたと共におられる。 それゆえ、今ここでわたしをも、わたしの子をも、孫をも欺かないと、神をさしてわたしに誓ってください。わたしがあなたに親切にしたように、あなたもわたしと、このあなたの寄留の地とに、しなければなりません」。 アブラハムは言った、「わたしは誓います」。(創世記21章22-24)

時にアビメレクがその友アホザテと、軍勢の長ピコルと共にゲラルからイサクのもとにきたので、 イサクは彼らに言った、「あなたがたはわたしを憎んで、あなたがたの中からわたしを追い出されたのに、どうしてわたしの所にこられたのですか」。 彼らは言った、「われわれは主があなたと共におられるのを、はっきり見ましたので、いまわれわれの間、すなわちわれわれとあなたとの間に一つの誓いを立てて、あなたと契約を結ぼうと思います。 われわれはあなたに害を加えたことはなく、ただ良い事だけをして、安らかに去らせたのですから、あなたはわれわれに悪い事をしてはなりません。まことにあなたは主に祝福されたかたです」。 (創世記26章26-29)

この二つの聖書箇所はとてもよく似ています、いや時期以外はほとんど同じ内容であると言っていいでしょう。21章はアブラハムの話、26章はその息子イサクの話でありますが、①アビメレクと軍勢の長ピコルが訪ねてきたこと、②平和条約を結んだこと、③アビメレクとピコルが、神はアブラハム、イサクと共におられると認めたこと、の3点が共通しています。

なお、アビメレクとピコルは個人の名前ではなく、アビメレクは王の呼称、ピコルは軍勢の長の呼称です。創世記21章のアビメレクとピコルは、創世記26章のアビメレクとピコルと同一人物ではありません。しかし、両者とも神はアブラハム、イサクと共におられることを認めました。

この二つの出来事は、推定ですが80年ほどの時差があります。父アブラハムに起きたことが、その80年後に息子イサクにも起きたのです。アブラハムは神の祝福を受けて栄え、息子イサクも同じく神の祝福により栄えました。もし彼らが祝福を受けずにみすぼらしい人生を過ごしていたなら、このようなことは起きなかったと思います。アビメレクとピコルが訪ねてきたは、アブラハムとイサクが二人とも神の祝福を受けていたからです。だからこそ彼らの方から訪ねてきたのです。

つまり、アブラハムとイサクは世の人々から認められ尊敬される神の人でありました。どんなに父が素晴らしい人間でも、子供が何の祝福も受けないで食べるにも窮するようなら親は成功したとはいえないかもしれません。このような面からアブラハムは成功した父でありました。父アブラハムが祝福を受け、息子イサクも祝福された。つまり祝福が継承された。このことがとても重要です。

私たちはまず先に神をよく敬い、神から祝福され、世の人々から認められ、そして子や孫にも同じ祝福が受け継がれるようになるべきです。神が与えてくださった祝福が自分の代で断ち切られるほど心痛めることはないでしょう。おじいちゃんおばあちゃんが神によく仕え、祝福されたのに、子や孫の代で信仰がなくなり教会にも来なくなったならそれほど心痛むことはないでしょう。私たちは神を敬い、神を礼拝し、神から祝福を受けています。イエスの十字架と復活を通して永遠の祝福を受けています。まことに感謝すべきことであり驚くべき恵みです。私たちの子や孫の世代はそのようになるでしょうか。イサクに起きたように80年後の子孫が同じように神を敬う人生を生きているでしょうか。それとも信仰の綱が断ち切られているでしょうか。

どうすれば祝福を継承できるのか。アブラハムは特別な場合だけ神を呼び求めたのではなく、いつも神を敬い礼拝しました。創世記には、アブラハムが繰り返し祭壇を築いて神を礼拝したことが記されています。神を礼拝することが彼の日常だったのです。

時に主はアブラムに現れて言われた、「わたしはあなたの子孫にこの地を与えます」。アブラムは彼に現れた主のために、そこに祭壇を築いた。(創世記12:7)

彼はそこからベテルの東の山に移って天幕を張った。西にはベテル、東にはアイがあった。そこに彼は主のために祭壇を築いて、主の名を呼んだ。(創世記12:8) 

アブラムは天幕を移してヘブロンにあるマムレのテレビンの木のかたわらに住み、その所で主に祭壇を築いた。(創世記13:18)

アブラハムはいつも変わることなく、うれしい時も悲しい時も試練の時も神を敬い礼拝しました。これが重要なことです。日々変わらず一生涯、真実に神を敬う。私たちが真実な心で接すれば、そばで見ている子供もあなたと同じ真実な心を持つようになるでしょう。神を敬う心を忘れず、変わらない心で礼拝し続けるなら、子も学んで同じように成長していくでしょう。あなたが神を第一として生きるなら、子も神を優先して生きる者になるでしょう。そのようにして私たちは信仰のバトンを渡さなければなりません。

父アブラハムに注がれたこの世の豊かな祝福を息子イサクに注いだように、この世において素晴しい祝福が子に受け継がれるようにしてくださいます。主は生きておられます。信仰と祝福を子と孫に継承すべきです。なぜなら、いつか親は年老いて子を残して離れるからです。

先日、教会員のI姉妹の葬儀を執り行いました。参列者は多くなかったけれど素晴らしい式で彼女を送ることができました。30年来の付き合いになりますが、何を見て私を信頼したのかわかりませんが、実は家の権利書やお金を全部私が預かっていました。今回、預かっていた全額を彼女の兄弟たちにお返ししましたが、兄弟たちもそれを知っていながら牧師に盗られたらどうしようとか思ったことはなかったそうです。

聖書にあるように人の齢は70年あるいは80年、霧のように人生は過ぎ去ります。子や孫を永遠に助けることはできません。別れの日は突然やってきます。しかし、神は違います。神は永遠の昔から永遠の未来まで存在されます。

アブラハムはベエルシバに一本のぎょりゅうの木を植え、その所で永遠の神、主の名を呼んだ。(創世記21:33)

アブラハムは永遠の神を敬いました。自分は永遠でないのでどんなに助けたくても子と孫を置いて離れるしかないが、神が永遠であるゆえに子孫にも祝福を与えてくださり共にいてくださり守ってくださると信じたのです。神は私たちの神であるだけでなく、子々孫々の神です。永遠の神様を敬いましょう。

神が味方なら、険しきこの世で勝利できます。誰にも奪われない心の平安が得られ、愛されているものとしての気持ちを持って生きられます。人が何と言おうが「わたしの目には、あなたは効果で尊い」(イザヤ書43:4)と耳元でささやいてくださる主の御声をきくことができます。私たちは、まず先に神の祝福を受ける信仰の人になるべきです。そして、その祝福が子にも孫にも受け継がれますようにと心から祈り願います。

以上