自分の願っていた通りに人生が進まないとき、思い描いていた計画がだめになったとき、予想だにしなった方向に人生が進んで行くとき、私たちはどうすればいいでしょう。使徒パウロの人生から、その答えを学びたいと思います。
パウロはイエス・キリストに出会い、生涯を福音伝道にささげるようになりました。彼が書いた数々の手紙は新約聖書の中におさめられていますが、これを読むと、次にどこに行きどのように伝道しその次はどこに行ってと計画的に各地を訪れたことがわかります。そのようなパウロの心の中には、ローマ帝国の中心地であるローマに行って福音を伝えたいという熱い希望がありました。
しかし、使徒パウロであっても人生は思い通りにはなりません。第3回伝道旅行を終えてエルサレムに戻ったパウロは、ユダヤ人たちに暴行を受け殺されそうになり、駆けつけたローマ軍によって暴徒から救い出されたものの捕らわれの身となります。ローマ市民権を持っていたパウロは拷問による尋問を免れ、身の安全は守られましたが、ユダヤ人指導者たちがパウロの暗殺を企てていることを知ったローマ軍はパウロをカイザリアへ移送します。そこで彼は総督ペリクスのもとで2年間も軟禁されることになりました。
この間、パウロは総督に大胆にイエス・キリストの十字架と復活の福音を説き、自らの無罪を訴え続けました。そして、後任の総督フェストが着任した後、再びパウロの裁判が開かれます。ユダヤ人たちがパウロをエルサレムで裁くことを主張すると、パウロは自身のローマ市民権を行使してローマ皇帝カイザルに上訴すると宣言しました。こうして、パウロはローマへ送られて裁判を受けることになりました。
このように計画は2年以上遅れ、かつ自由人ではなく囚人の身分でローマに送られることになりましたが、事態が思い通りにならなくても神がすべてを良きに変えてくださると信じて疑わなかったので、何としてもローマに行きたいローマで福音を伝えたいと熱望したパウロの思いは、ついに成し遂げられることになったのです。
神は、神を愛する者たち、すなわち、ご計画に従って召された者たちと共に働いて、万事を益となるようにして下さることを、わたしたちは知っている。(ローマ人への手紙8:28)
みなさん、あなたの人生の計画が無駄に終わるように思えるとき、絶対に落胆しないでください。神の御心にさからわずに信じるなら、人にはとうてい考えられない特別な方法と力で、神は目標を達成させてくださいます。個人、教会、国、世界は、全能なる神の御手の中にあります。道が閉ざされ、希望の光がまったく見えないと思えるときは、神がもっと大きな広い新しい道にあなたの人生を展開してくださるのを待つのです。神様にすべてをゆだねるとき、見えざる神の御手が働きます。これがクリスチャンの信仰です。
パウロは、カイザリアから船に乗り込みローマに向かいました。ところが、またもや道がふさがれます。船が地中海を航行中、ユーラクロンと呼ばれる暴風に遭遇したのです。あまりにも強い波風に乗船していた全員が死を覚悟して恐れおののきました。
わたしたちは、暴風にひどく悩まされつづけたので、次の日に、人々は積荷を捨てはじめ、 三日目には、船具までも、てずから投げすてた。 幾日ものあいだ、太陽も星も見えず、暴風は激しく吹きすさぶので、わたしたちの助かる最後の望みもなくなった。(使徒行伝27:18-20)
しかし、深く暗い夜の海でパウロの前に御使いがあらわれ語りかけたのです。パウロはその言葉を乗員たちに告げ、彼らを励まします
みんなの者は、長いあいだ食事もしないでいたが、その時、パウロが彼らの中に立って言った、「皆さん、あなたがたが、わたしの忠告を聞きいれて、クレテから出なかったら、このような危害や損失を被らなくてすんだはずであった。だが、この際、お勧めする。元気を出しなさい。舟が失われるだけで、あなたがたの中で生命を失うものは、ひとりもいないであろう。 昨夜、わたしが仕え、また拝んでいる神からの御使が、わたしのそばに立って言った、 『パウロよ、恐れるな。あなたは必ずカイザルの前に立たなければならない。たしかに神は、あなたと同船の者を、ことごとくあなたに賜わっている』。だから、皆さん、元気を出しなさい。万事はわたしに告げられたとおりに成って行くと、わたしは、神かけて信じている。われわれは、どこかの島に打ちあげられるに相違ない」。(使徒行伝27:21-26)
ここで重要なクリスチャン人生の原理を学ぶことができます。人生を生きる態度には2種類あります。ひとつは、命そのものに執着する人生。どんなことをしても生命を維持しようと努力し、生きてさえいれば成功であると考える態度です。もうひとつは、命を器と考えその器に入れる中身に関心を置く人生。生きていること自体よりも、与えられた命で何をするかに心を注ぐ態度です。御使いは、パウロが嵐を生き延びる理由はローマ皇帝カイザルの前に立つべき使命があるためであると語りました。使命を果たすために救いを約束されたのです。みなさんが、このような態度で人生の航海を続けられますようにと願います。
なぜ神は人生の暴風に遭わせるのでしょうか。私たちはともすれば当たり前のようにこの先も生きていける、まだ若いから何十年は大丈夫だろうと考えます。安全だ、大丈夫だという漠然とした意識。神はそのような私たちの道を突然ふさがれ、暴風に遭わせられます。私たちに必要なのは恐れることではなく、暗く深い夜の海で神を体験することです。神が私と共におられることを確信することです。霊と魂が目を覚まさなければなりません。そして、生きるための命ではなく、使命で満たすための命を追求する態度に変えられなければなりません。使命のある人は死にません。なすべきことがある人生、明確な目的のある人生を、神は想像もできない深い愛と恵みで祝福してくださり、広く高く豊かにしてくださるのです。深く暗い絶望の夜の海が、神様を体験できる機会となりますように。
生きるための命ではなく、使命で満たす命を追求する。何も大それたことをせよと言っているのではありません。家庭で職場で教会ですべきこと、周りの人々に目を配るべきこと、そのような大切な働きに気づかれ実行されますようにと願います。深く暗い夜の海で、私たちのそばにおられる主イエスに出会われますように。「わたしは道であり、真理であり、命である」(ヨハネによる福音書14:6)と言われる主イエスに出会われますように。主が与えてくださった使命で命を満たす限り、主はすべてを惜しむことなく豊かにそして長く与えてくださるでしょう。
以上