今日の聖書箇所には、私たちが何をし、どのように生きるべきかを考えさせられる出来事が記されています。

 ユダの王、ヨシヤの子エホヤキムの第四年に、ネリヤの子バルクが、エレミヤの口述によってこれらのことばを書物に書いたとき、預言者エレミヤが彼に語ったことばは、こうである。
 「バルクよ、イスラエルの神、主は、あなたについてこう言われる。『あなたは言った。ああ、私はわざわいだ。主は私の痛みに悲しみを加えられた。私は嘆きで疲れ果て、憩いを見出せない、と。』」
 「エレミヤよ、あなたは彼にこう言え。『主はこう言われる。見よ。わたしは自分が建てたものを自分で壊し、わたしが植えたものを自分で引き抜く。この全土をそうする。あなたは、自分のために大きなことを求めるのか。求めるな。見よ。わたしがすべての肉なる者に、わざわいを下そうとしているからだ──主のことば──。しかしわたしは、あなたが行くどこででも、あなたのいのちを戦勝品としてあなたに与える。』」(エレミヤ書45:1-5)

 南王国ユダのエホヤキム王の治世の第4年(BC605年)に、バルクという人物が、預言者エレミヤに代わって王と高官たちの前でエレミヤの預言書を朗読するという出来事がありました。そしてその結果、エレミヤとバルクは王の怒りにふれ、二人は身を隠さなければならなくなりました。そのような試練の中で、バルクは「ああ、私はわざわいだ。主は私の痛みに悲しみを加えられた。私は嘆きで疲れ果て、憩いを見出せない」と嘆きの言葉を口にしました。

 そのようなバルクに、主はエレミヤを通して厳しい言葉を与えられました。「見よ。わたしは自分が建てたものを自分で壊し、わたしが植えたものを自分で引き抜く。この全土をそうする。」

 私たちは軽い信仰に慣れてきたのではないかと思います。神様を信じさえすれば、すぐに神様が奇跡を起してくれると考え、「求めよ、そうすれば与えられる」という御言葉を読んで、求めたら簡単に与えられると期待する。このような軽い信仰に慣れると、重い信仰が得られません。重い信仰とは、長い苦しみにも耐えること、涙を流して祈り、願いが成し遂げられなくても祈り、心に疑いが入ってきてもその疑いを抑えて主の前にひざをかがめる信仰です。

 アブラハムが100歳で息子イサクが与えられたことを簡単に考えないで、75歳の時に約束の御言葉が与えられてからの25年の歳月の重さを思うべきです。イエスを信じれば救われることを簡単なものと考えないで、イエスが十字架につけられはずかしめられた苦しみと痛みと忍耐を思うべきです。いま私たちに必要なのは、耐え忍ぶ力です。少しだけ耐えて、簡単にあきらめてはなりません。苦しみに耐える力が与えられるよう祈るべきです。もちろん神様は苦しみを取り除いてくださることもあります。しかし、そうならなかった場合であっても、神様の深い御心を理解する皆さんであることを願います。

 主はバルクに対し、こう言葉を続けられました。「自分のために大きなことを求めるのか。求めるな。見よ。わたしがすべての肉なる者に、わざわいを下そうとしているからだ」 このように主は、高い地位や名誉などの「自分のために大きなこと」「求めるな」と、バルクの野心を警戒されたのでした。

 私は、みなさんが「自分のために大きなこと」を望むのではなく、より「重要なこと」をされることを願います。重要なこととは、神様を見上げること、真心をもって神様を敬うこと、口だけではなく生活の実践として信仰に歩むこと、聖書全体ではなくてもただ一つの御言葉だけでも守ること、イエスに似るように努力すること、イエスのように柔和で謙遜になるために祈りに励むこと、他の人を自分よりも優れた人たちとして思うこと、正直に生きること、いつ人生の終わりが来てもよいという心で目を覚ましていること、世の中が混乱しているときこそ神に近づくこと。これらが重要なことです。

 「自分のための大きなこと」のみを欲し、「重要なこと」にまったく心を向けない人たちによって、世は乱れます。彼らは、神様の御心でないことをするために必死で努力し、それがあたかもすごい人生であるかのように錯覚しています。

 もしかしたら、私たちは世の人からは愚かに見えるかもしれません。しかし私たちは、ただひたすらに神様が導かれるままに黙々と御心に従順して与えられた状況の中で生きるべきです。命のあることに感謝し、家庭を大切にし、互いに愛しあいしましょう。わが子のためにもっと祈りましょう。交野ベタニヤ教会の場所と時間をもっと大切にしましょう。そのようにしながら神様の恵みを求めましょう。苦しみの中にある隣人のために、その痛みを覚えながら真心をもって祈りましょう。私たちにできる「重要なこと」は、たくさんあるのです。あなたが「重要なこと」に専心するなら、主がバルクに「わたしは、あなたが行くどこででも、あなたのいのちを戦勝品としてあなたに与える」と約束されたように、神様は必ず神の時にあなたの祈りに答えてくださいます。

以上