イエス・キリストとはどのような方なのか。先週のメッセージで、イエスの生まれ故郷のナザレの人々は、イエスをただの大工の息子としか考えていなかったので、イエスご自身がメシア(救い主)であると宣言されたとき、神を汚していると激しく怒ってイエスをがけから突き落とそうとしたという話を学びました。今日の箇所でも、律法学者やパリサイ人といった当時の宗教指導者たちがイエスがメシアであることを疑って観察している様子がしるされています。
ある日のこと、イエスが教えておられると、ガリラヤやユダヤの方々の村から、またエルサレムからきたパリサイ人や律法学者たちが、そこにすわっていた。主の力が働いて、イエスは人々をいやされた。(ルカによる福音書5:17)
この箇所で用いられている「力」は原文のギリシャ語聖書では「デュミナス」という語が用いられていて、これは英語のダイナマイトの語源となった言葉です。この力は、特定の人だけが持つ力ではありません。聖霊を受ければどんな人にも与えられる力であり、人生を変える力、岩をも砕くような破壊力のあるすごい力なのであります。
イエスが多くの人々を癒やしておられると、中風(脳出血の後遺症によって起きる半身不随、手足のまひ)をわずらっている人を、4人の友人が寝床にのせて連れてきました。彼らは、中風の人をイエスがおられる家の中に運び入れようとしましたが、戸口のところまですき間がないほど大勢いたので中に入れませんでした。そこで、彼らは驚くべき行動に出ました。
群衆のためにどうしても運び入れる方法がなかったので、屋根にのぼり、瓦をはいで、病人を床ごと群衆のまん中につりおろして、イエスの前においた。 (同5:19)
この4人の友人の愛と熱情がすごいですね。他人の家のかわらをはがして中風の友人をイエス様の前につりおろしたのです。イエスは必ず病をいやしてくださるという強い信仰をもって、彼らは行動しました。イエスは、このような5人の信仰を見て言われました。
「人よ、あなたの罪はゆるされた」(同5:20)
これは驚くべき言葉でした。そして、これを聞いた人々の中に緊張が走りました。旧約時代、預言者やパリサイ人たちは病んでいる者をいやす働きをしていましたが、罪をゆるすことは神様だけがなさることなので彼らには出来なかったからです。イエス様が人には不可能な罪のゆるしを宣言されたので、彼らはざわつきました。
すると律法学者とパリサイ人たちとは、「神を汚すことを言うこの人は、いったい、何者だ。神おひとりのほかに、だれが罪をゆるすことができるか」と言って論じはじめた。(同5:21)
そのような律法学者やパリサイ人たちに対して、イエス様はなぞなぞのような言葉を投げかけました。
イエスは彼らの論議を見ぬいて、「あなたがたは心の中で何を論じているのか。 あなたの罪はゆるされたと言うのと、起きて歩けと言うのと、どちらがたやすいか。 (同5:22-23)
罪のゆるしは神にしかできない、という彼らの考えは間違っていません。しかし、イエスが神であることを彼らは認めなかった。それをわかるようにするために、イエスは次の行動に出られました。
しかし、人の子は地上で罪をゆるす権威を持っていることが、あなたがたにわかるために」と彼らに対して言い、中風の者にむかって、「あなたに命じる。起きよ、床を取り上げて家に帰れ」と言われた。 (同5:24)
ここで注目すべき単語は「権威」であり、これは権限や資格という意味を持つ言葉です。権威は、力(デュミナス)とは根本的に異なります。力は誰でも聖霊が共におられれば持つことができます。しかし、権威は、例えば大統領には軍隊を動かす権威が与えられているように、特別な身分を持つ者だけに与えられているものなのです。
イエスが中風がいやされるよう命じられると、驚くべきことが起きました。寝床のまま運ばれてきた中風の人が、いやされて自分の足で歩いて家に帰ったのです。人々は大いに驚きました。
すると病人は即座にみんなの前で起きあがり、寝ていた床を取りあげて、神をあがめながら家に帰って行った。 みんなの者は驚嘆してしまった。そして神をあがめ、おそれに満たされて、「きょうは驚くべきことを見た」と言った。(同5:25-26)
今日学んだ箇所の核心部分は、イエス様が病人をいやす方であると信じて連れて来るとイエスがその信仰を見て治してしてくださった、ということではありません。核心は、イエスが神様であるという宣言です。私たちが一番、驚くべきことは、神の御子であるイエスが受肉して人となってこの世に来られたことであり、この世の誰もできないこと、すなわち私たちの罪のゆるし死から救い出してくださり悪しきサタンの手から救ってくださったことであります。
イエス様は罪のゆるしを先に与えて下さり、その後に病気もいやされました。あなたは、本当は何を期待して教会に来ておられるのでしょうか。イエス様を、すぐれた能力を持つ方、病をいやす方、問題を解決してくださる方、願いを聞いてくださる方、やさしく語られる方としてしか考えていないのであれば、今すぐ考えを新しくするべきです。
確かに、病の癒やしは私たちにとって大きな救いです。しかし、病気がいやされたとしても人は必ず死にます。真に必要なことは永遠の救いであり、これは罪のゆるしによってのみ可能なのです。これは神であられるイエス・キリストだけがなされることのできる神の御わざです。たとえ今すぐ病気が治らなかったとしても、罪のゆるしを受けた人は永遠の命を得る。だから罪のゆるしこそが究極の救いであり、今日も私たちは主イエス・キリストにこの救いを求めます。
以上